シカミミの絵日記

エッセイを書くことが夢だった。

日ごろ堅苦しい文章を書いている思想家がエッセイで柔和な表情を見せると、美酒のように甘くしびれる。ギャップ萌えだ。その落差を生み出すために、わざわざ難しい言葉を積み重ねているのではないかと勘ぐりたくもなる。真偽はどうあれ、自分も萌えさせたい。その思いがずっとエッセイに夢を見させてきた。

でもぼくには庭の木の葉っぱがどうしたとか、コロッケの匂いに幸福を感じたとか、たぶん書けないし、気づきもしない。書くにしてもユニークな視点や魅力的な語り口を持ち合わす書き手が大勢いるなかで、自分が身を乗り出す必要性はまったく見当たらない。ぼくはおもしろいエッセイの読者であり続けた。

悔しい。やっぱり何か書きたい。自分にしか書けないものを。過去の経験をしぼるように振り返っているとき、ふいにコペルニクス的転回が訪れた。自分にしか書けなくて困ったことがある!あれは大変だった。別に才能に酔いしれているわけではない。本当に困ってしかも泣きそうになっていた時期があった。

それは絵日記の宿題だった。夏休みの最終日になって真っ白なノートと向き合うあの絶望感。国語や算数の宿題は友達に見せてもらえば写せる。しかし目の前にあるこの絵日記だけは、誰の手も借りられない。求められている書き手は疑いなく「ぼく」で、ここは涙をこらえて自分で書く必要がある。

そんな感じで、いま、「エッセイとしての絵日記」を始めようと思う。

人はある時代、ある地域、ある両親のもとに生まれるわけだから、その制約を越えて大きなことを書こうとしてもしょうがない。むしろ、取り替えのきかない個の物語を掘り下げていくことで、普遍につながる道が見えてくるかもしれない。ぼくがやっている平山ラヂオ(このイラストもさめ子さんが描いてくれているのだが)も、その観点から「人生の固有性と多様性の発見」をテーマにゲストを呼んでいる。そろそろ自分の番が回ってきた。

ぼくは1988年12月14日に、群馬県館林市で生まれた。1988年から置き忘れてきた“夏休みの宿題”に、物語と絵をつけていきたい。

日記:シカミミ 絵:さめ子(日記を受けて描いてもらっていますが、その絵も描き手の人生・日常に照らし合わせたもので、一つの独立した作品になっています。)

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