哲学者はBARにいる2

201807/15

BAR1

仕事おわりの日曜日、田辺秋守先生と例の酒場で飲んでいた。マスターの両親が階下で営んでいる酒屋から購入すれば、なんのボトルでも持ち込みOKというコスパ最強な店である。

 

※写真はイメージです。

 

前の週は同店に訪れた一行を「ゴルフ仲間」と見抜くのに時間を要し、「探偵失格」烙印を押された。今回はそういった集団もなく、落ち着いた雰囲気のなかでグラスを傾ける。しかし突如また試金石が…。

 

その日のイベントの打ち合わせで「ロックはもうおじさんのもの」というやり取りがあり、気づくとまた音楽談義になっていた。ディランやUKパンクが好きな私は、世代的に先生こそロックを嗜んでいるものと思っていた。ましてやJ-POPには疎いものと。

 

ところがである。先生の口から「ワンオクのTakaが…」などといった言葉が出てくる。私は森進一や森昌子を聴いてもワンオクはスルーしてきた。思わず「日本の最近のアーティストで才能があるのは?」と得意の愚問を発する。

 

「いるでしょう、宇多田ヒカルとか」

「…宇多田ヒカル聴くんですか!? やはり才能あるんですか」

 

すると田辺先生、目を見開いて、あきれたように「君はdeafだねえ」とおっしゃる。

 

デフ! あえて日本語で言わないところに諸々の配慮を感じる。いや、だって、美学を専門のひとつとする先生と音楽といったら、たとえばシェーンベルクを静かに書斎で聴いているイメージがあって、そこに宇多田ヒカルの才能が出てくるとは思わなかった…。

 

自分は「Automatic」の時代で止まっていることを正直に伝えると、「『Fantôme』を聴きなさい」と2016年発表のアルバムを薦める先生。

 

これは弟子として聴かなくてはならない。ありがたいことにGoogle play Musicで配信されていたので、帰路さっそくイヤホンをセット。そして一曲目「道」から耳と心を同時に奪われる。

 

 

“転んでも起き上がる/迷ったら立ち止まる/そして問う あなたなら/こんな時どうする”

 

この“あなた”は母親の藤圭子を指すことはあきらか。宇多田ヒカルのキャリアは本当にいろいろなことがあったと思う。

 

1998年、鳴り物入りでデビューし、『First Love』は90年代=TK時代に終止符を打った。じつは私が宇多田ヒカルを人並み以上に追ってこなかったのは、ひとえに、90年代の音楽の愛し、それにいつまでもとらわれていたからだ。

 

リズム、メロディ、歌いまわし、どれをとってもノスタルジーの対極にある現代性を帯びていて、ついていくのが怖かったともいえる。あとやはり、好みのトレンドを変えたという恨みに近い感情が、すこしあった。

 

“調子に乗ってた時期もあると思います/人は皆生きているんじゃなくて生かされている”

 

ほんと、自分みたいな輩がいたせいで、苦労が絶えなかったことでしょう。褒め称える側であっても「天才」というレッテルを貼り、それはそれで重荷であったはず。メディアから姿を消した時期も経ながら、活動再開できてよかったと、いまの活躍をみて素直に感じる。

“一人で歩いたつもりの道でも/始まりはあなただった”

 

藤圭子が亡くなってから、むしろ「ふたり」を意識するようになったのかなと。心のなかに「母」を宿らせれば、ひとりだったそのころよりも、このさき何十年も好きな音楽の道を歩いてゆける。アルバム全編を通して、伸びやかな詩と歌声が響きわたっていて、それはとても感動的だった。

 

以上、報告しなくては。折しも最新アルバム『初恋』が発売されたので、その感想も引っ提げてまたバーへ。

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