映画『マルクス・エンゲルス』に寄せて1

201806/17

 

マルクス・エンゲルス』を岩波ホールで鑑賞。ふたりの出会いから「共産党宣言」の誕生までを描く。

 

1848年のフランス2月革命から、2回の世界大戦をはさみ、僕たちはまったく同じ主題で「抑圧」の変奏曲を聴かされている、いや、「蜂起」の演奏をしつづけていることをうかがい知れる。マルクス生誕200年。資本主義が構造的にはらむ敵対性は、その時代ごとの呼称をまとい、いまもあらゆるところから噴きだしている。

 

この映画を観ながら、学生時代のことを鮮明に思い出していた。恩師の田辺秋守准教授との出会いにもかかわることだ。僕はもともとは、哲学とは縁遠くみえる政治経済学部の経済学科の学生で、いちおう卒業もしたので、経済学士ということになっている。

 

『ビフォア・セオリー 現代思想の〈争点〉』慶應義塾大学出版会、2006年

 

そのなかで田辺先生は文学部だけではなく、政経の「現代思想」の授業も受け持っていた。それ自体は一般教養の科目としてめずらしいことではないが、「私は史的唯物論者です」と名乗る先生には「え、えー!」と内心とても驚いたのを覚えている。ほかの授業では、構造主義やテクスト論といった“ポストモダン”な空気に触れていたところである。それが、ドーンと唯物史観を唱える先生と出会ってしまった。

 

すでに早稲田から“早稲田らしさ”が消えつつあり、先生方でさえ現実の政治を語る際には奥歯に物のはさまったような言い方をしていた当時、つねにアクチュアルな話題を提供し、党派性の帯びた意見を自由にのべる田辺先生の姿勢には、驚きから共感を寄せるようになっていく。(授業のまくらでその必要性をずっと訴えていた政権交代が、あるときついに起きた。)

 

2008年にリーマンショックが起きたことも、経済学科の学生として、経済学に批判的な眼差しを向けるきっかけになった。どんなに美しい理論も、実体経済が破綻しては、人間には意味がない。そこからいったんは行動経済学に目を移してみるも、やっぱり“マル経”こと「マルクス経済学」を学んでみようという気になり、今はあるかわからないがズバリ「社会主義経済学」を受講することに。

 

これがけっこうなくせ者だった。思想とはまた別の次元にある、「数理マルクス経済学」だったのである。マルクスの残したテクストを厳密に数学的に検証してゆく。価値が価格に転化する「転形問題」と向きあったり、とくに、世界に先駆け数々の定式化をおこなった置塩信雄の理論を習って、「マルクスの基本定理」や「置塩の定理」を検証したりした。

 

そこにはインターナショナルも聞こえないし、空にはためくのぼりも見えない。ものすごく静謐な空間で、マルクスを考える日々。僕はどちらかというと『資本論』以前の問いの構造に関心があったので、たとえば「疎外論」(まさに映画では『経済学・哲学草稿』のころのマルクスがいた)をもっと学びたいなあ……とため息をつくこともあった。

 

それが、長らく文学部に対するコンプレックスにもつながっていた。「社会主義経済」の授業は例外で、政経は基本的には“近代経済学”の理論と実証を学ぶ場であったので、それにくらべて“思想”が感じられる文学部には、ずっとあこがれを抱いていた。転部も何度も頭をよぎった。でも勇気がなくてできなかった。そんな中途半端な態度でいたら、卒業まで5年かかってしまった。

 

しかし、本作を鑑賞し、あらためてマルクスとエンゲルスの関係を垣間みて、思い直したことがある。エンゲルスはマルクスの初期の論文を絶賛しながらも、1点だけあるアドバイスをする。「経済学」を学ぶよう、すすめたのである。僕はこの場面をみて、「ああ、いろんなことがあったけど、自分は経済学科にいて、よかったのかなあ」とふりかえった。

 

出身学科ゆえ、哲学・思想に興味を示す半端な自分には嫌気がさすことも多々あったが、マルクスが経済学を吸収しようと舵を切った瞬間は、腑に落ちるというか、はじめてしっくりくる感じが、胸をかすめた。そして高3のときの浅はかな自分を、すこし許すことができた。

 

結果的に学問の道には進まなかった(進めなかった)わけだから、以上のことが、これといった意味をもたらすことは今後もない。ただ、自分にとっていい映画を観たなあという思いが、単純にうれしかっただけである。映画のおわりのマルクスは、いまの僕とちょうどおなじ、30歳手前であった。

 

“映画『マルクス・エンゲルス』に寄せて1” への1件のコメント

  1. […] ■ 映画『マルクス・エンゲルス』に寄せて1 […]

コメントを残す