映画『マルクス・エンゲルス』に寄せて2
前回、『マルクス・エンゲルス』の鑑賞メモの代わりに、自分にとってのマルクスとの出会いを一部だけ記した。だが書くならば、どうしても触れなくてはならない存在が田辺秋守先生のほかに、ひとりいる。ドイツ・ヨーロッパ思想史を専門とする高橋順一先生(早稲田大学教授)である。
経済学科にいるべきかどうかを悩んでいるとき、早稲田松竹に通って“現実逃避”をする一方、自分が知りたいことを学べそうな授業にもぐりつづけていた。だいたいは人文系の科目が厚い文学部に出むき、授業の合間にはそのキャンパスの図書館にこもるという毎日。
いわゆる“リア充”と呼ばれる一群に爆発的なルサンチマンを抱きつつ、そこで本と向きあう時間だけは心穏やかにいられた。しかし仲間がいなければ、やはり寂しい。それこそマルクス・エンゲルスのように、同志の存在は欠かせないものがあるだろう。そこで田辺先生にお願いし、文学部でおこなわれていた「田辺ゼミ」に忍ばせてもらう。少人数制のゼミナールであったため、受け入れてくれたメンバーにも深く感謝。ここでの出会いは、今にもつながる大事な関係性となっている。
やっと仲間とめぐりあえてうれしくて、正式なゼミ生でもないのに、自分の考えていることをまくし立てた気がする。するとゼミ生のひとりから「そういうことだったら、ここのゼミもどうだろう?」と社会科学部のそれを紹介された。ありがたいことに、そこのゼミ長にまで話を通してくれ、田村正勝ゼミ(社会哲学)と、卒業間際には東條隆進ゼミ(経済社会学)のお世話になることに。それは大変勉強になったし、事実、ゼミ論まで書きあげた。当然、卒業単位には入らないが、もともとひとつの分野に集中するのが苦手な自分にとって、学際的な知の融合をめざす社会科学部のやり方が性に合っていたのかもしれない。
そして5年生になる。経済学科の単位が、いくつか足りない。震災が起きた春、同期たちは卒業した。
経済学科から距離をおいた理由は、リーマンショックに端を発する金融危機や、理解ある教員・学友たちの影響が大きかったが、決定づけたといえるのは大震災と原発事故だった。書を捨てて、町へ出よう。そのときほど、好きな寺山修司のアジテーションを素直に受けとめられたことはい。
「デモ」というとどこか硬派なイメージがつきまとうが、自分はなにより、公共空間論でもかならず登場する「広場」の役割に期待をよせている。つまり、基本的には「人と人とが出会う場所」であって、日本には数少ない「広場」というものを路上でおぎなう試みとして位置づけてみたい。
高橋順一教授も、そうして生まれた「広場」で出会った先生のひとりだった。
それまでにつながっていた関係性をたどっていくと、その先にはたいてい順一先生がいた。また、田辺先生を経由して自分がつよい関心を抱いていたヴァルター・ベンヤミンの研究者であることも知っていた。しかし、なかなか接する機会がなく、そのまま卒業を迎えようとしていた。
ところが、震災を契機に、書籍でしかお目にかかれないような教授陣が路上に繰り出しはじめる。どうやら、そこに順一先生もいるらしい。その報を聞きつけた僕は、どうにかして会えないかと、まずは町に飛び出してみた。
記憶を正確に探るために、当時のTwitterのログを確認してみると…
▼2011年06月11日(土) @moritayusuke 森田“シカミミ”悠介
“高橋順一先生と出会えた!一緒に歩く!”
無事に出会えたようだ。臨場感(高揚感)が伝わってくる。そして緊張のあまり「あ、あの、革命に興味があって、革命をしてみたいんです!」というあらぬことを口走ったことも思い出す。
とにもかくも、そこで順一先生から「(革命したいなら)ゼミにおいでよ」とおっしゃっていただき、学生生活の最後を教育学部の順一ゼミで送ることになった。
さぞ革命戦士の集う恐ろしいゼミだろうと覚悟して扉をたたくと……想像とは異なる学生たちが待っていた。感じがよく、優しそうで、女性の比率も高く、みんなそれぞれに研究テーマをさだめて勉強に励んでいる。だれもが革命というわけではない。(たぶん、僕だけだったはず。)
でも共通のテキストに柄谷行人の『世界史の構造』が用いられたこともあり、全員がそれを読みこんでいる姿をみては「同志!万歳!」と快哉を叫んでいた。ゼミ単位で史的唯物論の再考をおこなっていた学部学科は、ほかにどこを探してもなかったはずだ。
放浪の5年生をあたたかく迎えてくれた後輩には感謝の言葉しかない。記録をあたっていくと、このような投稿をみつけた。
▼2012年01月23日(月) @moritayusuke 森田“シカミミ”悠介
“いま気づいた。今日は大学最後の授業だ。この5年間を、高橋順一先生のゼミで締める。また学生生活の記念に、勇気を出して文カフェに行く。”
「文カフェ」とは文学部のカフェテリアで、ひとりで行くには辛い場所だったから、そう書いたのだろう。いやそこはいいから、学生という身分をもって出る最後の授業が、順一ゼミだったということ、そこが感慨深い。そしてその翌週…
▼2012年01月30日(月) @moritayusuke 森田“シカミミ”悠介
“高橋順一先生と。お酒に寄せ書きという粋な演出。五年生、そして大学の最後にこんな瞬間が待ち構えているとは!”
…いま思い出しても泣ける。自分が学生時代を幸福なかたちで見つめられるのは、順一ゼミの学生のおかげである。またあわせて、哲学的に重要なテーマのひとつである「歓待」とその精神を思い知ることができた。
卒業後もいろいろあったが、めぐりめぐってまた大学という場所に生きている。順一ゼミの後輩たちに直接恩返しできなくても、世代をまたいで、ひとの痛みには自分の痛みをふりかえり、ひとの喜びには自分の喜びを想像して、日々向きあってゆきたい。
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