映画みち草①

202102/25

師匠が高校生向けに行った「映画感想の語り方」講座に同席した。

映画を語ることの難しさは、絶えず動き続ける画を頭に留めておくことと、それを正確に言葉で表現することに求められる、というもの。

「記憶力」が必要なのは言うまでもなく、いくら鮮明にある画を瞼の裏に焼き付けても、それをあらわすための「語彙力」がなければ、語ることはできない。

極端にいえば、言葉をまったく知らない者は見たものを覚えることはできないはず。生まれたばかりの赤ん坊のように。

もちろん、一つのイメージとして脳裏に刻まれることもあるだろうが(三島由紀夫の”たらいのふち”など)、その思い出も結局は言葉によって支えられている。

むしろ幼少期の記憶は、事後的に生成された”フォールスメモリー”の可能性があるというのが、心理学の教えだ。

複雑な脳の構造を考えると、「記憶力=語彙力」と単純に成り立つものではないだろうが、必要条件の一つであるとみなすのも、またおもしろい。

映画は夢のごとく、それを目覚めた後に振り返るためには、視覚でも海馬でもなく”言葉”が求められるんだなと、当たり前のようで新鮮に感じた。

“下ろしたての爽やかな木肌の盥で、内がわから見ていると、ふちのところにほんのりと光がさしていた。”

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