妻鹿日記(110)大人の階段
202010/04
妻しか(鹿)日記
登場人物: 私…鹿 妻…妻
第110回:妻としか住まない
* * *
あと、忙しいなかできることは、家探しを兼ねた散歩くらいか。
テナントが退去した、基準地価が下がったなどといっても、住宅の取引価格は高止まりしたまま。
期待(?)の人口減少はむしろ「住めるところに人が集まる」動きを加速させるばかりだ。
妻鹿で給与明細を見せあって、大きなため息をつきながら、それでもまた来週末には「散歩」にいくのだろう。
将来は、ほんのちょっといい暮らしができる。そのふわっとした淡い期待が、意外にも今日この日の辛さを、またはその延長である人生の重みを、いくばくか軽減してくれる。
だから“夢のマイホーム”という表現は、あながち間違ってはいない。
それは賃貸で十分、そのほうが得とかいう話以前に、よくわからない人生に曲がりなりにも「形」を与えてくれるものなのだ。
もちろん、期待が現実になったとき、“期待は期待に過ぎなかった”と思うに違いないのだが、そのときはまた、別の期待を探すのだろう。
そういう視点に立てば、結婚するまで意味がないと感じてきた社会的な通過儀礼(学校、就職、結婚、子育て)も、目の前に人参がないと意義を見失ってしまうような弱い人間存在にとっては、やはりよくできたシステムなんだろう。
選択は強制されるべきではないが“あえてのっかる”のも一つの智恵。ああ、これが学生時代、見たくなかった“大人”の背中。でも不思議と辛くはない。
コメントを残す