妻鹿日記(84)移住
妻しか(鹿)日記
登場人物: 妻…妻 私…鹿
特別出演:妻兄
第84回:妻としかできない その2
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妻兄からNintendo Switchを貸してもらった。
妻に“はやりの森”に行きたい、“動物になりたい”とつぶやいていたら、お兄様の耳に届いて送ってきてくれた。
ほんとうに感謝しかない。このコロナ禍でスイッチはどこも品切れ。任天堂の据置型ゲーム機を手にするのは、父に小学生のときに買ってもらった64(ロクヨン)以来となる。
マリオで3D空間を飛びまわった感動はいまも忘れられないが、スイッチは存在自体がもう衝撃であった。
テレビにつなぐだけでなく、ゲームボーイのように単体で遊べるし、コントローラーも左右独立で使えて、最初から2人でプレイできる。
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これほどまでの進化を見逃してきたのは、あるときからゲームは“時間の無駄”だと感じるようになり、疎遠にしていたからだ。
もちろん、ときには没頭するほど楽しいものもあるが、それは“現実の楽しさ”ではない、という思いが根強くあった。
敵を倒した! ……でも現実の課題は?
たくさん稼いだ! ……でも目の前にはカップラーメン。
画面の向こう側とこちら側を隔てる「壁」は、数えきれないほどあるだろう。
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ソフトは簡単に入手できたので、さっそく無人島に移住し、妻を招く。
マスクもソーシャルディスタンスも気にせず過ごせるのが、気持ちいい。
妻は島のオレンジを全部もぎとる勢いで動きまわり、タヌキに売ろうとしている。
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それは架空の島かもしれない。
でも、そこを舞台に妻と笑ったり、あれこれ騒いだりする時間は、現実に流れている。
つまり、散歩や映画鑑賞とおなじように、ゲームを用いて妻と共有する時間に嘘はなく、その積み重ねはやがて、他の思い出と一緒に胸に刻まれるだろう。
子どもは目にするものすべてを真剣勝負の目的とする。これはこれで素晴らしい。
大人になるにつれてだんだんと、「生活」の名のもとに多くのものが手段になり変わっていくが、だからこそ対象はなんであれ、そのまわりにある「時間」を愛せるようになる。
いずれ死ぬ運命にある人間にとっては、それは最終的な価値のひとつに違いない。
[…] 「あつ森」を開拓中。妻はマイホームを買って、ローンは島で釣った魚で返そうとしている。 […]