妻鹿日記(31)尊敬
妻しか(鹿)日記
登場人物:妻…妻 私…鹿
第31回:妻しか見抜けない その6
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銭湯、TSUTAYA、BOOKOFFだけでなく、帰り道で妻と一緒になったり、買い物していたら妻と出会ったりという“日常の風景”が増えていくにつれ、落ちついたなと感じることが多くなってきた。
そして鹿にとっては、それらに「腰を据えて書く」ことが加わって、生活に根が張れたといえる。
連載コラムはこの1年で、15本書いた。決して多作とはいえないが、より集中して、責任をもって書けるようになってきたと実感している。
そう感じるのは、やはり妻のおかげだと思う。
いくら自分のなかでいい感触があっても、ちゃんと読み手に届くかという不安は必ずつきまとう。
それは単に良かったとか、面白かったとか言われても、払拭することができない類のものだ。これは傲慢さによるものではなく、自信のなさに起因している。(たえずホントか? と疑ってしまうわけだ。)
たとえ妻であっても事情はおなじなのだが、妻の感想は鹿が力を入れた箇所、行間に込めた意味、そして読んでほしいポイントをいつもおさえている。
書き手にとってこれほど嬉しいことはなく、また恥ずかしいこともない。というのも、読ませどころは本来さりげなく、隠し味のように忍ばせておくからいいのであって、そこを見抜かれてしまっては商売上がったりである。
でも、意図通りに伝わるというのは、最大の信頼であり祝福である。世の不幸の多くは、コミュニケーションが行き詰まった先に起こると考えられるが(戦争、暴力、差別)、人間と人間が、すなわち他者と他者とが一瞬でも理解しあえるのは、奇跡なような出来事かもしれない。
自分の文章を通してそうした奇跡とめぐり会う。いつか、いつの日かと思っていたことが、日常にあること。
これ以上の幸福はない。
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