「新海誠から考える令和の想像力──セカイからレイワへ──」の連載開始

201904/14


Cinemarcheで新しい連載をはじめることになりました。

「新海誠から考える令和の想像力──セカイからレイワへ──」序論
 https://cinemarche.net/column/shinkai-1/

まだ公開もされていない『天気の子』で、新元号もまだ迎えていませんが、それに先立って「レイワの想像力」を垣間見ようとする試論です。


たった1分の予告編に2度も出てくる「セカイ」という言葉。

古い、と思われるかもしれませんが、その言葉を生んだ社会情況が変わったかといえば、そうではないはずです。

つまり「自意識」や「きみとぼく」の関係から、いまだ解放されていないと感じています。

この連載では、二者関係に潜む排除の力=暴力性を乗り越えるための「第三者」の登場が待たれる物語、あるいは時代を考えていきます。

映画エッセイである「映画道シカミミ見聞録」は引き続き連載してまいりますので、そちらもよろしくお願いいたします。


▼連載アーカイブ

【第2回】映画『君の名は。』から新海誠の「セカイ」を輪郭を読む|第1章 第1節


【第3回】新海誠の全作品解説。世界観から倫理観へ|第1章第2節


【第4回】平成の宮崎駿と令和の新海誠。倫理観から恋愛観へ|第2章第1節


【第5回】新海誠『天気の子』予報②から「100パーセントの晴れ女」を解説|第2章第2節


【第6回】『天気の子』RADWIMPS主題歌「愛にできることはまだあるかい」からのテーマ考察|第3章第1節


【第7回】映画『天気の子』の鳥居から祈りの意味を解説|第3章第2説

【第8回】『天気の子』にみるエヴァンゲリオンなどの日本アニメが描いた主人公の「挫折と成熟」への回答|第4章第1節

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