第28回『ひいくんのあるく町』について
「水曜どうでしょう」みたいにサイコロ振って旅をしたいとは成年男子の1/3くらいの憧れだと僕は思っているが、移動そのものに惹かれる心性は贅沢だとわかりつつもどうにも捨てがたく、じっと路線図を見上げて少し逡巡したあと宮城から群馬に飛んでみた。自分の郷里だ。
“ふるさとは遠きにありて思ふもの”という気持ちは年々実感として胸に迫ってくるものがある。たかだが電車で2時間くらいの距離でまだまだ年もさほど重ねてはいないが、それは自分に限った話ではないのだなと、自分より若い学生が制作した映画を観て気づくことができた。青柳拓くんが監督した卒業制作映画『ひいくんのあるく町』である。本日9/2よりポレポレ東中野から全国ロードショー公開が始まる。
タイトルに表されているように、これは監督の郷里に住む「ひいくん」にカメラを向けたドキュメンタリー映画だ。彼は町のあちらこちらに出没し、人々と交流を重ねて生きている。そんな“神様”(まれびと)的な存在は一昔前の町にはどこかで必ず見かけたものだし、自分が暮らしていた町にも確かにいた。しかし振り返ってみても映画のひいくんのようには必ずしも受け入れられていなかったように思う。
そういう記憶はやはり少なからずの罪悪感をもたらすが、青柳くんの映画は決してそこを問い詰めるわけではない。キャッチコピーにある通りの“ほっこり”とした後味を残す快作として仕上がっている。まずこれを青柳くんの手腕ないしはバランス感覚として挙げたい。それは具体的には、ひいくんを追いながらも主役を山梨県の故郷の町に置いた方法論を差す。
つまり本作は“ひいくんのあるく町”であり、間違っても“町をあるくひいくん”ではなない。ここが大事なポイントだ。ひいくんはいつもどこかを歩いて生きてきた。だから、ひいくんを追うことで町の歴史性が浮かび上がる。そして青柳くんはこの「時の流れ」の描き方が殊更にうまく「こいつは一体、何歳なんだ」と思わせるほど。ここにきて書き出しの郷愁に繋がるのだが、20年ちょっとしか生きていないはずの学生が、町の数十年に渡る歴史をノスタルジックに表現してしまっている。あたかも生まれる前の活気も寂れゆく商店街も、その目で見てきたかのように愛情を込めて。これが第二の特筆すべきセンスだ。
“ふるさとは遠きにありて思ふもの”は“そして悲しくうたふもの” と続く。その“悲しさ”が若くしてわかるということに、若輩の僕も驚きを禁じ得ない。ぜひ一度ご鑑賞あれ。
▼映画公式サイト
http://hikun.mizukuchiya.net/
★2017/10/15追記
これを記した後日、青柳監督とトークライブをする機会に恵まれ、直接質問などをうかがうことができました。以下がその様子を収めたものです。
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