27クラブ
28歳になりました。
ケーキに立てるロウソクが増えることで喜びを覚える年でもないし、ケーキを誰にも買ってもらえない悲しさに打ちひしがれる年でもありません。
特に改まった表明もあるわけでなく、これまで通りお世話になっている方々には感謝しながら、迷惑をかけてしまった方々にはお詫びをしてこの年を迎えられたらと思います。
ただ一つ、この年に思い入れのようなものがあるとすれば、「27クラブ」という言葉です。
27歳で夭折したロック・ミュージシャンがあまりにも多いため、いつしかその呼称が生まれたそうです。
例えば、ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン、カート・コバーンは28歳を迎える前に亡くなりました。
それより前の年齢に広げてみると、エディ・コクラン(21)、バディ・ホリー(22)、ソウルですがオーティス・レディング(26)、そして日本ではやはり尾崎豊(26)の若死にが代表的でしょう。俳優ならば、ジェームズ・ディーン(24)も青春のただ中の死として伝説的に語り継がれています。
誕生日なのにこの話題は少し暗すぎますね。つまり「クラブ27(アンダー27)」を超えたのだ、というのが新しい年に寄せた正直な喜びなのです。
村上春樹の短編に『ニューヨーク炭鉱の悲劇』という物語があり、この現象を半ば自伝的に語っています。
「詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ。それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予測だった。」
「伝説の不吉なカーブも通り過ぎたし、照明の暗いじめじめしたトンネルもくぐり抜けた。あとはまっすぐな六車線道路を(さして気は進まぬにしても)目的地に向けて走ればいいわけだ。(中略)なにしろ、もう28だものな……」
小説ではその後、安堵したのも束の間に、不意打ち的に友人たちが次々と亡くなっていく展開になるのですが(炭鉱の空気が薄くなっていくように)、要するに「28」にはそういう“抜けた”印象がつきまとう年として意識してきたところがあります。
自分はロックスターでもなんでもありませんが、そこには生きることや死ぬことへの恐怖があったり、きっと彼らと同じような過剰さと不安定さを併せ持っていたのだろうと想像します。実際に、26あたりの歳はとても辛かった。
だから純粋に、無事28歳になれてよかったと、心から思うのです。枯れたわけではありません。敬愛するボブ・ディラン(ノーベル文学賞取りましたね)が歌ったように、
“Ah , but I was so much older then, I’m younger than that now.”
「ああ、あのときわたしは今よりもふけていて 今はあのときよりも ずっとわかい」(「マイ・バック・ページズ」より)
といった“若さ”の気分が、なんとなくわかってきた気がする、そういうことです。
「クラブ27」の情熱的で刹那的な生き方に憧れていた日々もありました。ただ長く生きたってしょうがない。「太く短く」といいますか、そういう人生のほうが濃いのではないかと。
でも今思うのは、彼らが生きた1日も、私が28歳としてこれから生きようとする1日も、おこがましい言い方ですが同じ1日であり、同じ重さがあるのではないかという感覚です。
確かに自分は「歌」で多くの人を救えない、でも、「まっすぐな六車線道路」を走っていくなりの優しさとか強さとかがおそらくあって、それが時に人から必要とされていくのでしょう。
そういう28歳に私はなりたい、と宮沢賢治ふうに言ってみて、日ごろのお礼に代えさせていただきます。
2016年12月14日 Facebookの投稿より
[…] いただいた誕生日メッセージに心温かくなり、懐が寒くなるのを承知で自らへのプレゼントに「Surface Pro 4」を購入した。そろそろ買わなくてはと思っていた新しいPCだ。それもタブレ […]
[…] 、自分は多くの若者の例に漏れずロックな生き方に憧れて27歳まで生きられたらいいと(“The 27 Club”)腹をくくって後先考えずやってきましたが、どうやら本当の意味で覚悟を決めねばな […]