シカミミの絵日記15『お掃除』

201403/20

 

トイレ

 

 それは突然やってきた。ぼくは雷に打たれたように新宿駅地下の雑踏に立ち尽くした。行き交う人々の足音がいつもより大きく聞こえる。ぼくは動けないでいた、便意に催されて。

 

 あまり刺激を与えないように膝を曲げずにトコトコと歩く。十数メートル先にはトイレのマーク。壁に手をあて、腹に手をあて、救済の場、約束の地に一歩一歩と近づいていく。脂汗を額ににじませ、ようやくたどり着いた先には先客が。やつが暴れ出す。むんっと尻に力を入れるも体内の暴動はおさまることを知らず、しまいには両手で挟むように尻を押えつける。

 

 この「いかにも」というポーズで次々とやって来るサラリーマンにアピールする。そこには誰でも使えるトイレ(障がい者用トイレ)と普通の個室トイレの二つがあるのだが、どちらが空いても次はぼくですから、次はぼくですから……!

 

 待つこと数分、「誰でもトイレ」のほうからシャーと水が流れる音が聞こえてきて、救われたと思った。ベルトを緩める。しかしそこからいくら待っても人が出てくる気配がない。ずっと水音だけがしつづけて、まるで“お預け”をくらっている犬のようだ。こちらに気を取られているうちに「普通トイレ」に並び始めたサラリーマンがいたので、振り向いて必死の形相で彼を見つめていたら、事態を察し下がってくれた。いずれにしても次はぼくですから……!

 

 バケツを提げた掃除のおじさんもやって来て、「困ったねえ」という顔をする。もう何十分も籠城しているのだ。どうして出てこない! ぼくは閑散とした女子トイレを見やった。いかん、それはいかん、でも……と女子トイレに体が傾く。お腹は革命的情勢となり、もう王たる理性のコントロール下にはなかった。メルトダウン寸前、決断を迫られる。入るか否か、それとも……。

 

 ぼくはその場で弁を開いた。女子トイレに駆け込み恥をかく、あるいは罪を犯すことよりも、人間としての尊厳を失うことのほうを選んだ。しばらく放心状態でいると「普通トイレ」がガチャリと開いた。中からは袋をたくさん抱えたホームレスのおじさんが飄々とした顔で出てきた。シット!! こいつはクソなんてしてなかった、着替えてたんだ!! しかし怒る間もなくぼくは便座という王座に座り込んだ。外部での汚染水排出は最小限にとどめられた。

 

 情けない姿でなんとか個室から出ると、向かいの「誰でもトイレ」がガチャリと開いた。こちらもホームレスのおじさんが銭湯帰りのようにタライを抱えて出てきた。シット!! 中の設備を使って体を洗っていたのだ!! あの水音は「シャワー」だった!! 詰めかけてなんか一声言ってやろうかと思ったが、同じく待たされた掃除のおじさんに迷惑かけたくなかったし、ぼくには急を要する「事故処理」が控えていた。ただキッと睨んでトコトコとその場を後にした。地上に出ると無情の雨が降っていた。

 

 「事故処理」(パンツ買って履き替えて、おしりにファブリーズ)を終えて一息つくと、周囲からさまざまな意見が寄せられたが(これからはパンパースを着用する、替えのパンツを常時備えておくなど)、問題の核心はぼくの肛門にあるのではなく、用を足すのでもないのにトイレを占拠していたホームレスのおじさんたちに求められるのではないか。おじさんたちも大変なのはわかっている。トイレに身を寄せなくてはならない社会のひどさも。でも、そういう綺麗事のもとに汚れてしまったものがここある。まず、トイレはトイレであることに立ち返ろう。そのうえで社会的には着替えるパーテーションを別に設けるなどすればいい。多目的化しているトイレの現状に苦言を呈する。

 

 さて、今回はキレイキレイにお掃除の話です。ぼくは学生時代にある商社(A社と呼んでおこう)の掃除夫をしていた。仕事を簡単に説明すると、大きなかごをカートに乗せて、社員さんたちの足元にあるごみ箱のゴミを回収していき、最後にはこれまた大きな麻袋にまとめ地下の収集場に運ぶ、といったことをする。メンバーはその日ごとに担当する階を割り当てられ、「あの階はゴミが多いからなあ」とか「今日は少ないところでラッキー」とか思ったりする。でも、どの階もゴミ箱の数はだいたい等しく、時間内にそれらを手に取り回収していく作業は骨が折れる。ぼくなどは与えられた90分間を小走りしつづけてやっと間に合うというものだった。サッカーの一試合にも近い体力の消耗、仕事後に一気に飲み干す炭酸飲料のおいしいこと、おしいこと。

 

 そこで学んだことは多くある。たとえばコロコロとカートを引く音が近づけばそっとごみ箱を足元から通路に出してくれる気の利いた社員さんがいる一方で、ごみ箱のうえに座り込んで(これがまたお尻がすっぽりと収まるちょうどいいサイズなのだ)カートごとぶつかりにいっても動こうとしない社員さんもいる。(まるでぼくらが空気であるかのように反応しない。)またおもに紙を入れる「リサイクル箱」にコーヒーが入ったままの紙コップを捨てて(というか置いて)いる人もいて、驚いたこともある。当人もいけないことと自覚しているようで、新聞紙を乗せて隠している場合があって、それを知らずにくるりと返すとコーヒーが作業着にかかるということが何度かあった。(ぼくらはそれをトラップと呼んでいた。)

 

 「ごみの捨て方でその人が出世するかどうかわかるものなんだ」とぼくら掃除夫を束ねるボスは言った。ボスは何十年もA社の掃除を手掛けており、今の社長が一般の社員だった頃から知っているという。(そして同時に出世も眺めてきた。)聞くと、ゴミを集めながら観察するに、今後出世するであろう人ははっきりとわかるそうなのだ。それも巧みな観察眼で才気を見抜くのではなく、ほんのちょっとしたこと、回収する際に「ありがとうございます」と言ってくれる人、エレベーターに乗り合わせたときに嫌な顔せず一緒に麻袋を引っ張ってくれる人、そういう心遣いが出来る人が、やはり仕事のうえでもちゃんと出世していくのだという。それはたやすく、当たり前にも思えるが、先のトラップの件もあるように、自分の小さな行動を軽く見ている人はけっこういる。“たかがゴミ”とみなす人は、仕事では本腰を入れるかと思いきや、結局はその姿勢のままに“たかが仕事”に落ち着いてしまうのだろう。

 

 ボスにならったわけではないが、ぼくも自然と社員さんを観察するようになっていった。まだ就活する前で、大企業の実態を見る絶好の機会でもあった。おそらくここにいる社員の方々は、いわゆる難関大学を出て就職も成功したエリートと言われる人たちだ。でも正直に言って、これが多くの就活生が夢見る職場なのかとぼくは落胆した。一列に並んだ疲れた顔(生気を失っている)、毎日が実はルーチンワークで期待した“クリエイティブなもの”とは程遠い。大企業は品々を取り扱う範囲が広いだけで、職場は職場、大企業だからといって特に変わったことはなく、会社全体は世界を舞台にしていても、各々の日常はパソコンの前から離れない。

 

 仕事の当初は、煙草の吸殻が「リサイクル箱」に捨てられているのを見て「おう、出来るものならこれをリサイクルしてみろや!」と憤っていたものの、会社全体を覆う言い知れぬ閉塞感を味わうにつれて「社員さんも疲れてるんだな、悲しいんだな」と半ば同情するようになっていた。コーヒーをごみ箱に捨てるのも、本当は夢のなさを物語っている。社員の方から「ありがとう」と声をかけられると嬉しいように、ぼくも心のなかで「お疲れさま、お疲れさま」と言いながらゴミを集めるようになっていった。そしてぼくは「脱就活」を心に決めた。

 

 その頃からぼくは「就活デモ」といった社会運動をするようになっていったが、ボスを含め、掃除仲間には反社会的だと思われるのが嫌で黙っていた。清掃の会社が入っていた地下のオフィスでは、おじさんたちと競馬の話をしたり、週刊誌を読み合ったりして他愛なく過ごしていた。それ以外のときは廃棄用の椅子を廊下に並べてそのうえに寝転がっていた。

 

 ある日、いつものように清掃服に着替えて「今日の割り当ては……」とロッカーの担当表を見上げると、そこにぼくの活動が掲載された新聞が大きなマルをつけられ貼られていた。ぼくは佇んだ。ボスは、捨てられた新聞紙のなかからぼくの記事を見つけ出し、堂々とみなの前で紹介してくれていたのだ。ああ、ここの人たちはぼくの活動を受け止めてくれたんだ。安堵するとともに涙が出てきた。隠すことはない、誇らしく思って進んでくれ、そう背中を押されている気がした。恥ずかしいと思っていた自分が恥ずかしく思えてきた。

 

 脱就活に踏み出し、掃除仲間と別れるときがきた。埃にまみれ、最後の汗をかいたあと、ぼくはみんなにこれまでのお礼を言ってまわった。みんなが祝福し、応援してくれた。ビールケースを裏返して机や椅子代わりにし、その場で即席の宴会場をつくりみんなで飲んだ。とても楽しかった。とてもいい職場だった。ボスはその締めくくりにこう言った。「どんなに偉くなっても、地下にいる人々のことを忘れないでほしい」と。

 

 偉くなれる保証など今のところなんにもないけれど、この先どんな人生を歩もうが、“地下にいる人々”のことをぼくは決して忘れはしない。それは“上の階の人々”の仕事に比べれば地味で生産的ではないかもしれない。でもこの社会は「生産」と「掃除」の両輪があってはじめて破綻なく前に進むことができるのだ。尻を拭く誰かがいるから、社会は一丁前の姿で立つことができる。見えないところで社会を支えている人々に心からの敬意を。彼らの優しさと強さが、ぼくの血を流れている。

 

地下倉庫

 

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