第15回別冊スクラップブック『海賊からの贈り物 / ディラン、ブートレグ、1965』
今年の散歩はレコード屋めぐりから始まった。レコードプレーヤーのカートリッジを新調したことにより(備え付けのものからSHUREの「M44G」に変えた)、LPを聴く喜びや感動が以前に増して大きくなり、レコードに針を落として音に身をゆだねる夜が多くなった。そうなると、中古CDショップを訪れても自然とレコードに目が向くようになり、CDでは持っているアルバムでも気に入ったLPがあれば「これで聴いてみたい」と不思議と財布の口が開くのである。豊かな音が生に占める力というのはすごい。
並んだレコードを素早く引き上げ目視する例の「スパスパ」もけっこう出来るようになり、最近なぜか親指の指紋が薄くなってきているなと思ったら、それは日々「スパスパ」をしているからだと年明けになって気がついた。まだビギナーの証拠だ。修行を積んで、どんどん皮を厚くしなければ。
あっちに行ってはスパスパ、こっちに来てはスパスパと歩き回っていたら、いつの間にか吉祥寺のdisk unionに足を運んでいた。まるで夢遊病者のように店内のLPを一通りあさり、腕いっぱいに“収穫”を抱えてほくほくとレジに向かおうとしたら、かつての習慣でCDの棚も見てやろうという気になり、ふらっとBの列を一瞥するとビビッとなにかに反応した。近づいてその付近を眺めてみると、胸の鼓動は徐々に高まっていき、このCDの前で最高潮に達した。
なんだこれは!と岡本太郎のように目をカッと開く。『BOB DYLAN BACK IN HOLLYWOOD BOWL 1965』とある。1965年のライブ盤、破竹の勢いだった若き日のディランを拝められる格好の時期、ファンならよだれの出るような年である。
もちろん、これは正規にリリースされたものではない。いわゆる「ブートレグ」と呼ばれる海賊盤だ。しかもこれは「サウンドボード音源」とあり、観客席から録ったようなものではなく、ライン音源から“引っ張ってきた”ものらしい。CDのラベルには“NOT FOR SALE PROMOTION ONLY”と記されている。それがプレスされて出回るところがまさに海賊盤たるゆえんだが、こういったCDは当たり外れが大きい。ぼくも何度か買って音の悪さに失望したことがある。
しかし、「1965年」である。この際、大事なのは音の良し悪しだけではない。まずはざっと曲目を見てみよう。
1.She Belongs To Me
2.To Ramona
3.Gates Of Eden
4.It’s All Over Now, Baby Blue
5.Desolation Row
6.Love Minus Zero / No Limit
7.Mr. Tambourine Man
8.I Don’t Believe You
9.Just Like Tom Thumb’s Blues
10.From A Buick Six
11.Maggie’s Farm
12.Ballad Of A Thin Man
13.Like A Rolling Stone
よだれが出そうな“絶品”が目白押し。この一年後、1966年のライブで、ディランに対する「ユダ!(裏切もの!)」発言が収められた歴史的アルバム『The “Royal Albert Hall” Concert』のリストはこうなっている。(ちなみにこの音源はかつて有名な海賊盤として流通し、今はレコード会社がそれを逆手にとって“公式ブートレグ”として発売している。)
1.She Belongs To Me
2.Fourth Time Around
3.Visions Of Johanna
4.It’s All Over Now, Baby Blue
5.Desolation Row
6.Just Like A Woman
7.Mr. Tambourine Man
8.Tell Me, Momma
9. I Don’t Believe You
10.Baby, Let Me Follow You Down
11. Just Like Tom Thumb’s Blues
12.Leopard-Skin Pill-Box Hat
13.One too Many Mornings
14.Ballad Of A Thin Man
15.Like A Rolling Stone
ほとんど同じだ。しかし、同じだからこそ聴きたい。そこにどんな違いがあるのか、どうアレンジされているのか、聴き比べてみたい。とくにディランは同じ曲でも歌い方をよく変えるので、そこを知りたい。(実際、66年の彼岸と此岸を往き来するような陶酔感に満ちた歌声とは打って変わり、65年の段階ではあどけなさを残した初々しい情感から曲を歌いあげていた。)
そして、65年から66年にかけての“音”を追うのが面白いのは、そこがフォークからフォークロックへの“転換期”に当たっているからだ。たとえば、世の通説ではこのように伝えられている。
「65年のニューポート・フォーク・フェスティバルでバックバンドを従えて登場したディランは、フォークファンからの激しい批判を受け、一度ステージを下がりエレキをアコギに持ち替えたあと、涙を流して《It’s All Over Now, Baby Blue》を歌った。」
「66年のツアーでも後半部のロックバンドによる演奏が非難を浴び、ロイヤル・アルバート・ホールでは観客に『ユダ!』と叫ばれた。」
ここで時系列を整理すると、該当のニューポート・フォーク・フェスティバルは65年7月26日、今回見つけたロサンゼルスのハリウッド・ボウルでの公演は65年9月3日、そして“ロイヤル・アルバート・ホール”の名で出回ったものの、実はマンチェスターのフリー・トレード・ホールでの音源だったコンサートは、66年5月17日である。
またディランがバンドを率いて65年にワールドツアーを始めたのは8月28日で、「ハリウッド・ボウル」の海賊盤は「ニューポート・フォーク・フェスティバル」から約5週間後、ツアー開始からまもなく、ということになる。
やはり、とても刺激的で魅力的な代物だ。通説によればこの時期のライブはさぞスリリングなものであろうと想像がつく。新しいジャンルを開拓し始めたディランが敵に囲まれ、いばらの道を歩んでいる……。
しかしその予想はこの海賊盤を聴いて見事に裏切られた。オーディエンスは後半部のエレクトリックな演奏になっても黄色い歓声を上げている。女の子の「きゃー!きゃー!」という悲鳴に近い声がよく聴きとれる。倒れはしないかと心配になったくらいだ。そしてのちの代表曲ともなった《Like A Rolling Stone》になると、会場は興奮のるつぼと化す。ディラン、大人気である。
同じ曲における、ニューポート・フォーク・フェスティバルでの罵声はなんだったのだろうか?また、翌年のフリー・トレード・ホールでの観客との激しいやり取りもここからは思い浮かばない。
よく調べてみれば、シングル《Like A Rolling Stone》の発売は65年の7月20日で、それは「ニューポート・フォーク・フェスティバル」から「ハリウッド・ボウル」にかけてのあいだ、さまざまなヒットチャートを駆け上っていた。ディラン最大のヒットとなった曲を生み落しておいて、一方的な不人気などはありえない。
また、涙して歌ったというニューポート・フォーク・フェスティバルの映像も手に入れて確かめてみた。
これは、汗だ。どう見ても泣いているようには見えない。涙声にもなっていなかった。しかも、アコギに持ち替えてすぐに《It’s All Over Now, Baby Blue》“すべて終わったのさ、ベイビー・ブルー”と歌ったのではなく(出来過ぎた話だ)、その前に一曲《Mr. Tambourine Man》を披露しているのである。要するに、尺の問題もあってか、普通にフォークソングを歌ってみせたわけだ。
一方、「ロイヤル・アルバート・ホール」あらため「フリー・トレード・ホール」の音源も聴くと(これは“公式ブートレグ”なので簡単に聴くことができる)、確かにわざとズレた手拍子をしてみせたり、ユダ!と言ってみせる輩はいるが、演奏が終わるとその他の大勢の人々は拍手をしている。みなで争って喧嘩していたわけではない。
今回、海賊盤を聴いてわかったことがある。一つは、通説をあまり信じてはいけない、何事もこの耳で確かめろ、ということ。もう一つは、新しいことにチャレンジしてみせる人間には、それを支える味方がちゃんとついていること。どんな仕事をしても、敵が半分、味方が半分、と思っておいたほうがいいだろう。批判される場所がある、というだけのことだ。
一人の人間の過渡期であり、伝説が生成する途上でもある海賊盤に触れられたのは運が良かった。“アコギ”でも“エレキ”でもなんでも自分にとって今必要なものを携えて、自分の信じる道を恐れずに進もう。理解者は路傍に咲く花のようにいつもそっと必ずいる、そう決意する年初めになった。
当時のディランと同じ、25歳の年明けに記す。
コメントを残す