『明日の天使と働く日々』
言葉を紡ぐことが好きだ。毎日は書けなかったとしても、それはものぐさではなく、会いたくても会えない人を待つ、もどかしくも嬉々とした日々に似ている。そこが自分と向き合える瞬間であるところも。
不安が自分の道を切り拓く。できないことができることを選りすぐる。年の瀬のトークイベントで、ぼくはこのように語った。実のところ、今年ほど自らそれを実感した一年はなかった。脱就活を志し、この生き方を軌道に乗せるべく奮闘した日々は、その思いとは裏腹に体調不良を繰り返し、地表すれすれの低空飛行をつづけていた。
この身は自分が思うほど器用ではない。あれもこれもではすべてを失う。できないことをまず認めること。この不安を生のかたちにできる一番の物を求めること。見つけたのは、イベントを組むことでもそこで司会をやることでもはたまた番組や映画を撮影することでもなく、言葉だった。
言葉とともに働いた。きちんとした形式で勤めるのは初めてで、慣れないことばかりだった。朝起きることさえままならないのだ。今までずっと夜型の生活を送っていたので、体が朝日を覚えていない。文字通りふらつきながらサラリーマンやOLひしめく街へ出て行った。
新たなホームグラウンド、新宿。この地の空気はなんともいえない。繁華街にビジネス街、そして新旧の文化がないまぜになった空間に老いも若いも集う。新しくはないけど古くもない感覚で、いつもどこかに向かっているこの街(終わることのない駅前の工事がそれを象徴している)と、ぼくは生きることになった。
人の数だけで慌てふためいていたぼくも、いつしかその群衆に溶け込み、スーツこそ着てはいないが彼らと同じく背筋を伸ばし、少しうつむき加減に早足で歩く術を身につけた。仕事は覚えるほど楽しくなり、出会った人の一人ひとりの幸せや平穏を願う余裕も生まれていった。
もとより、「脱就活」は「脱就職」ではない。就活を通さない就労の模索であり、そこから人間の生き方の多様性を導く試みである。就職したって構わない。むしろ、働いたほうがいい。働いて、社会への責任感を抱いたり、人の辛さに共感したりして、真に自由な生を築けるのだと思う。
就活なしの就労は考えられても、仕事なしの人生は考えられない。段々と、そう思うようになっていった。職人であれ、事務作業員であれ、仕事は「生きるためのお金を稼ぐ行為」という以前に、「人と人とが関わり合う出会いの結節点」として存在し、その出会いを通して自分が生きたという証を協働の記憶に刻んでいく。
こうしてぼくは朝の訪れとともにバッと布団を跳ねのけ、目覚まし時計のアラームを二回以内に止め、食事から身支度までをささっと済ませ、家を出て、社会の一団に合流するような者になった。
「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとはだれにも言わせまい」とポール・ニザンは書いた。ここからは言外に「二十歳」(若さ)こそもっとも美しい年頃だという世間の価値観がうかがえるが、果たして、ぼくはただの勤め人になったのだろうか。
否、と言いたい。確かに何にも染まっていない時期にひたすら生命力を輝かせ、ときには社会に反抗して活躍した作家や俳優、アーティストらが思い浮かび、なかには夭逝して神格化された若者たちもいるが、そんな「二十歳」を過ぎても、生きていれば誇れる自分と必ず出会える。
その美しさは閃光のように一瞬激しくきらめいて消えゆくものではなく、汚れたって、恥をさらしたって、それでも生きてみせる粘りがもたらす実直な光だ。少しでも長く生きること。これに勝る美しさはない。かつてはぼくも「太く短く」の生き様に憧れていた。反逆的なヒーローが戦いの末に敗れるニューシネマなど観て(たいていは死の結末を迎える)、深い共感を寄せていた。でも働きはじめて、社会への責任、人への愛情を知り、まだまだ先が見たいと望むようになった。
二十歳は美しいかもしれない。でも二十一歳、二十二歳の“美しさ”を知らない。ましてやその後に開ける世界がどんな色で、どんな匂いがするかなんて、知る由もない。
ぼくは二十五歳になる。ニザンが意気込んでいた年齢はとうに過ぎた。青春と呼ばれる無鉄砲で爆発的な活動およびその関係性は影を潜めた。その代わり、聖火のように受け継がれていく火が、心のなかで静かに燃えている。次の自分へバトンを手渡すべく、理想も暴力もなく、燃えている。
ぼくにとってその火種は言葉である。それを絶やさぬためには、ときに凡打を打つ勇気も必要だ。ホームランばかりが人生ではない。このことを自覚して以来、恐れていた何気ない日々がどこか優しく見えはじめ、度の合った眼鏡をかけたように視界が焦点を結ぶようになった。単なる日常も悪くはない。
中島らもの短いエッセイに『その日の天使』というものがある。
“一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。少女であったり、子供であったり、酔っ払いであったり、警官であったり、生まれてすぐに死んでしまった犬の子であったり。”
“心・技・体ともに絶好調のときには、これらの天使は、人には見えないもののようだ。逆に絶望的な気分に落ちているときには、この天使が一日に一人だけ、さしつかわされていることに、よく気づく。”
中島らもは、その日、人気の失せたビル街を歩いていたと言う。体調が悪く、重い雲のようにやっかいな仕事を山積させて。家のなかでもモメている。それでも明日までにやらなければならない仕事がある。
“その時に、そいつは聞こえてきたのだ。
「♪おいもっ、おいもっ、ふっかふっかのおいもっ……あなたが選んだ、憩いのパートナー」
道で思わず笑ってしまった僕の、これが昨日の天使である。”
飲み過ぎた夜。疲れが残り、しゃべりすぎたことを少し後悔しているような翌朝。文章も近ごろ書いていない。まったく気分は優れないが、それでも働くため重い体を外に連れ出す。寒さに身を縮める。つられて諸々の希望までもしぼんでしまい、悲観的なことばかり考え(寂しい、悲しい、虚しい)、駅へと向かう。
構内は人で埋まり、なかなか前に進めない。流れに逆らってどうにかホームにたどり着く。今日も一日がはじまる、意味もなくそんなことを思いながら、入って来た電車に乗り込む。
朝の車内、ぽっかりとあいた、一人分の席。こんなことは珍しい。吸い込まれるように腰をかけ、途中、暖をとるために買った缶コーヒーを開ける。良い香り。たちどころに棘立った心が和みはじめる。見れば、今日は快晴で、空がきれいだ。
そこには、今日のぼくのために、小さな小さな天使が一人、座っていたのかもしれない。そんな天使を見る眼があれば、たとえいくつになったとしても、仕事と夢の狭間で言葉を見いだして、めげずに生きてゆけるだろう。
――自らの誕生日と、すべての働く人々、そして明日の天使に寄せて。
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