第9回別冊スクラップブック『シェルブールの雨傘をさして / ギィのファッションを追い求める』
梅雨時が苦手だ。気は滅入り、体は重くなるし、傘を都会の雑踏でぶつけ合って通勤するのには相当まいっている。ただでさえせわしく、多くの人で混み合う新宿の町が余計に窮屈に感じられる。
そういうときは早く帰るのもいいし、雨宿りにどこかに駆け込むのもいい。ぼくはせっかく町に出たのだからと、本屋にふらっと立ち寄り休憩することがある。ビルの窓から、ほっと一息、下の通りを眺めると、色とりどりに開かれた傘が舞っている。雨の日の憂鬱さが一転、上から見た景色は格別に面白い。「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言ったのはチャップリンだが、辛かったら“引いてみる”と意外に楽しめる。
俯瞰ショットで傘の動きを印象的にとらえた映画としてまっさきに思い浮かぶのは、ジャック・ドゥミ監督の『シェルブールの雨傘』(1964年)だ。
このようにカラフルな傘たちが画面の横から、上から、斜めから、ときには足並みを揃えてやってくる。この視点を覚えて以来、雨が降ると「傘の踊り」が見たくて仕方なくなる。
つい先日、名画座の早稲田松竹がジャック・ドゥミを特集上映していて、ぼくはスクリーンでその絵を観たい一心で、仕事の合間を縫って小雨の降る町を駆けていった。
雨音とミシェル・ルグランの美しい旋律が重なり合う冒頭から、ぼくの涙腺は緩みはじめる。映画とは関係ないが、ルグランのこのテーマソングを流すカフェにはとても困っている。反射的に泣けてきて、読書どころではなくなってしまうのだ。しかもCDのリピート再生で幾度となく「それ」はやってくる。ぼくはそのたびに涙を流し、つかの間の安息のあと、また涙に襲われるという不条理な戦いを展開している。安易に音楽をかけるのはやめてほしい。
と言いつつも、この映画自体がルグランの音楽と愛の言葉の繰り返し以外なにものでもなく(それが不思議な味を出しているのだが)、そこらのカフェとたいして変わりない。肩を寄せ合うとき、汽車を見送るとき、再会を果たすとき、いつもきまって背後にはルグランがいる。でもなぜだろう、来るぞ…来るぞ…来た!とそれでも涙があふれ出るのは。ストーリーもシンプルで、恋人の彼氏がアルジェリア戦争の兵役に赴き、そのあいだに彼女のほうは宝石商の男性にアプローチをかけられ悩みつつも結婚を決め、帰還してきた彼氏はショックを受けるが寄り添ってくれた身近な女性と幸せをつかむ、というものである。耳に残るルグランの調べ、会話がすべて歌で交わされる驚き、そして色彩豊かなカメラがこの映画の魅力を支えている。
いいなあ、と漠然と観ていたものの、心惹かれる箇所が、以前とは違うのに気づいた。服装だ。誰もが燦然と輝くカトリーヌ・ドヌーヴに目を奪われるなか、ぼくは映画館の片隅で、彼氏(ギィ)のほうのファッションをじーっと見つめていた。青のシャツと茶色のジャケットの組み合わせ、これはいけるなあと。自分がファッションに疎いことは何度も述べてきたが、この濃い「青×茶」はぼくにとっては新鮮な発見として目に映った。
第8回スクラップブック『ワークウェア考2』では、竹脇さんにキャロル・リード監督『第三の男』の刑事が“ダッフルコートの長い袖を少しまくっているのがいい”と教えられ、鑑賞し直してみたら確かにオーソン・ウェルズの存在感に引けを取らない姿だったことを書いた。「服飾という肉体」を持った俳優へのまなざしを学び、それが自然と『シェルブールの雨傘』の目のつけどころにも影響を与えたのだろう。ぼくの注意力は映画の華であるドヌーヴからどんどん逸れていき、男性の服装へ注がれることとなった。
うーん、別れに泣いているドヌーヴには悪いが、「青×茶」はいいなあ。
これから愛し合う直前でも申し訳ないが、男性の襟元から少し見えるブルーとジーンズがいいなあ。
別れる間際になってもぼくの興味は変わらない。すごいなあ、上も下も茶色でシャツだけが青。こういう合わせ方もありなのか。
などと思っているうちに二人は離れ離れになり、それぞれ違う相手とくっついていった。一体なにに感動したのかわからないが、ぼくは涙をぬぐって映画館を後にした。
次の休日。ぼくはあの「青×茶」を探すべく、町に出て、古着屋をめぐっていた。以前コム・デ・ギャルソンを手に入れる回で紹介したブックオフグループが運営する店、都内にいくつかの店舗があるのだが、今回はまず大船まで足を運んでみた。(もはや「都内」ではない。)
大船となると鎌倉駅も近く、ちょっとした旅行気分である。うきうきと文庫本を携え電車に乗る。しかしすぐに寝る。本当は“旅”などする体力は残ってなく、「青×茶」の残像だけが、ぼくを亡霊のように突き動かしていた。
なぜ大船だったか。それはネットで調べて「大型店舗」と出てきたからだ。大きければ可能性も広がる。その単純な発想により、足だけが前へ前へと進んでいった。
訪れてみると、敷地面積はかなりあるのだが、それはどこかスーパーの食品売り場を歩き回る感覚に近く、「ファッション店」という引き締まった雰囲気はない。イトーヨーカドーみたいな空気を想像していただければいい。そして実際にイトーヨーカドーと隣接していた。ぼくはカートを押しながら「今晩の夕飯はなににしようかな」という感じに左右を見渡しながら列と列のあいだを歩いていった。
結果からいうと、「大きければいい」は間違いだった。服はたくさんあるが、良い服がない。大船まで来てしまったという状況だけが、ぼくをその場にとどまらせていた。収穫なしには引き下がれない。青…茶色…青…茶色…ととりつかれたように口走りながら何千着という服をかきわけていった。そしたら、あった、目が覚めるような青色のシャツが。
ぼくの前にギィが立ち現れる。よし、こんな青に茶色のジャケットを合わせてみるのだ!と何週目かのラウンドがはじまった。
集中力とはすごいもので、すでに一度見たコーナーで、ぱっと目に飛び込んでくるものがあった。
ギィの茶色よりはだいぶ薄く、ほぼカーキ色だが、問題なかろう。直感でカゴに押し込み「ここが引き際だ」とレジに向かう。二着で4,000円弱だった。カードでシュッ!
さて、このあとはどうするか。ぼくは駅に戻り、路線図を見上げて考えた。「町田」という文字がある。ボブ・ディランの「モノ・ボックス」を買った町だ。あのときはディラン熱に浮かされてdisk union以外の店は目に入らなかったが、隣には例のブックオフ系の古着屋があったのだ。しかし……遠い。体が悲鳴を上げるも、同時にミシェル・ルグランの音楽も聴こえてくる。
「町田再訪」の運びとなった。藤沢→相模大野→町田という各社をまたぐ乗り継ぎの経路で町田にたどり着いた。意識はブラックアウトしていた。ただギィになりたくて、「青×茶」にあこがれて、最後の力をふり絞った。
町田の古着屋は「ここはファッションです」といわんばかりの気合いが入っていた。カートもなければ遊び回る子供たちもいない。店内は服が一枚一枚整然とかけられている。でも両手に袋を提げていたぼくは、ここでこそスーパーのカートが欲しかった。うまくいかないものである。
服を手にとっては荷物を置いて着てみる。手間がかかってしょうがない。とてもすべてをあされそうにない、そんなときに、視力の感度がぐっと増すのだろう。このジャケットに目が留まった。(目が合った、と表現してもいい。)
これもカーキ色だが、なかに青を入れても似合いそうだ。そしてなによりアメリカっぽいのがいい。ぼくはいわゆる(いまだに)“ラブ&ピース”を信条としているが、アメカジとしてのアーミーは好きだ。逆にみな日常のアーミールックで満足すれば、戦争など馬鹿げたことをしないで済むのではとも思う。ファッションという演劇性の枠内でずっと興じていればいいのだ。
アルジェリア戦争の被害をこうむったギィに思いを馳せつつ、すでに気持ちは「青」に移っていた。“長旅”で陽も傾いている。体力なく、時間なく、お金なくの三拍子に神様が同情してくれたのだろうか、文字通り「BLUE」と書かれたTシャツに出くわした。さすがに笑った。数多くあるTシャツのなか、たまたま手を伸ばした一枚がこれだった。
「もう十分だ」と察したぼくは振り返らずに二着をレジに持っていく。計7,000円、カードでシュッ!!
結局、ギィのような濃いブラウンを手に入れることはできなかったが、「カーキ×青(水色)」でもいけると感じていた。それは実はカトリーヌ・ドヌーヴのほうがその組み合わせで着こなしていたからだ。
ここから考察するに、『シェルブールの雨傘』という映画は基調に「茶系と青系」の色があり、それが心離れる状況に応じて(終盤を迎えるにつれて)赤だったり黄色だったりと暖色系に転じていく。あたかも最初の二人の関係が“幸薄く”長続きしないことを暗示するかのように。そしてのちにそれぞれの“温かい”家庭が待っているかのように。映画を服飾の色で追っていくのも興味深い方法の一つだ。
さあ、ここまでならただの映画批評。ぼくは「シェルブールの雨傘を観る」ことではなく「シェルブールの雨傘をさす」という実践を試みたい。「批評」をビルドゥングスロマンが織りなす「エッセイ」に落とし込めよう。いうなれば「実践映画批評」だ。さっそく映画に触発されて買ってきた服を着てみる。まずは“大船バージョン”から。
うむ、写真を撮られることに少し緊張しているが、青シャツとカーキのジャケットを着ることができ、とても気分が良い。自宅でタグを確認して、ジャケットは「BOYCOTT」のものだとわかった。リサーチするとコンセプトに「仕事も遊びも真剣な永遠の少年たちへ ブリティッシュをベースにモード(時代感)を取り入れたミニマル(シンプル)スタイルを提案」とある。“永遠の少年”とはコム・デ・ギャルソンのようではないか。また“ボイコット”という響きも反抗的でいい。
つづいて“町田バージョン”を。
こちらのほうが生地的にも色合い的にも軽さが出て、ギィとドヌーヴを掛け合わせたような気持ちになった。同様にタグから検索をかけると、ジャケットは「AVIREX」であり、予想通りアメリカのミリタリーウェアのブランドのようだ。ヒストリーを見ると「ミリタリーに起源を持つアヴィレックスは、機能的なデザインが醸し出す特有の美しさに支えられている。その個性的な表情は、映画『インディー・ジョーンズ』『トップガン』『メンフィスベル』などのスクリーンでも活躍し、喝采を浴びた」とある。映画の内容はともかく、映画とつながりがあることが喜ばしい。(また「AVIREX」の店舗はぼくのよく通る新宿駅新南口を出た高島屋の前にあり、さりげなくこのジャケットを着てのぞいてみた。)
青Tシャツのほうはその名も「BLUE BLUE」というブランドで、いわく「デニムブルーをメインテーマに掲げ」、ショップは「ワーク&マリンテイストが楽しめるお店」であるらしい。なぜ“1967”なのかはわからないが、1968年の「革命前夜」を胸で主張しているようでぼくは気に入っている。
『シェルブールの雨傘』の“実践”をここまでやってきて、ぼくの心はすっかり「アーミーでマリンな水兵or船乗り」に染まっていた。どうせならもうひと押ししてやろう。いつか菩提寺医師から勧められていた「セントジェームス」のボーダーシャツのことが頭の片隅にあった。日を改めて、また例の古着屋でこれを掘り出してみせた。
『ワークウェア考』で参照したJ.SIMS著『MEN’S FASHION BIBLE』によると、ボーダーシャツ(セーター)にはこのような歴史がある。
ボーダーシャツと言えばカマンベールチーズと同じくらいフランスだ。ジェームズ・ディーン、カート・コバーン、アンディ・ウォーホル、そしてパブロ・ピカソはボーダーシャツへの独特な愛着を示した著名人であるが、事実、この中にフランス人はいない。
少なくともジャン=ポール・ゴルチエ、ジャン=ポール・サルトルの2人のフランス人は愛用した。(中略)サルトルは、ボーダーシャツで伝統やフランスを認識させるとともに、戦後のカウンターカルチャーや存在への不安感に結びつくように仕向けた。
メンズファッションとしてのスポーツウェアと仕事着を重視したガブリエル・ココ・シャネルが、シンプルな青と白のストライプ、ボートネックのニットシャツを女性用に仕立てたのは30年近く前だ。フランス沿岸部ドーヴィルでの休暇中、漁師の姿を見てひらめいたという。ジーン・セバーグやオードリー・ヘップバーンもそれぞれに着こなした。
しかしボーダーシャツは、この上なく男性的であった。フランス語で船乗り風という意味の言葉で呼ばれ、1858年3月27日、フランス政府により海軍の軍服として生産され、ロシア海軍も採用した。
ブルターニュ地方の漁師は、暖かくゆったりした3/4スリーブのボーダーシャツを長年着ていた。22本の青と白のストライプは地域の誇り表すとともに、海に落ちても目立つという理由があった。海軍の制服の中でボーダーシャツは実戦用ではなくファッションへ同化する、軍服らしくないシックなアイテムだった。
なるほど、なるほどと唸ることばかりだが、最後の「実戦ではなくファッションへ同化していくアイテム」という一文を読んで、やはりそんな感じに戦争が文化的側面から変化を遂げ、やがて終わりを告げる日が来たらいいと願う。「戦争はダサいけど、水兵ルックはかっこいい」というのは夢想家の戯言ではなく現実の感覚として導けそうで(また大事にすべき情動であり)、ファッションにかぎらずこのような“マイナー生成変化”の流れを各ジャンルでも強化できればと。『ワークウェア考2』で示した方向性にならえば、それは「戦争」自体を換骨奪胎し他のゲームに書き換えてしまうような「地図作成術」ともいえよう。
ぼくは今、さまざまな示唆を与えてくれたシェルブールの港に思いを募らせながら、自分がこれから歩もうとする新しい「地図」も思い描いている。
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