第10回スクラップブック『ロックミュージック考2』 森田悠介

201308/17

都庁前クリニック連載 スクラップブック

第10回『ロックミュージック考2』 http://www.tochomae.jp/scrap/vol10.html

2013年8月17日公開

 

ロックミュージック考』で広げられた散種の海に飛び込んで、ブライアン・イーノとビーチ・ボーイズをつなぐ音を自分なりに見いだしてみました。

するとなんと菩提寺医師自らが「追記」として、それへの応答のように、贈り物のように、一本のエッセイを紡いでくれました。それが第11回スクラップブックです。“ロックミュージック考”のまとめは同時公開された本稿をどうぞご覧ください!

 

ここではいつもの概略の代わりに一つの小話を。

 

工藤礼子『夜の稲』

 

ある日、菩提寺医師から工藤礼子さんの『夜の稲』というアルバムを薦められました。ちょうど自分が好きなフォークっぽい音楽と、考察すべきプログレやアンビエントの間にある溝に悩んでいた頃でした。つまりそれらに感情的に追いつけず、ぼくが心から共感できるのは、音の実験性よりもやはり個の実存が込められたような音ではないかと思っていたのです。

とりあえず『夜の稲』を聴いてみることに。まず工藤さんの繊細なヴォーカルに惹きつけられるものを感じ(すなわち実存に触れ)入口はすんなりと通り抜けることができました。

そのまま聴きつづけていると、おや、と思う音が次々と出てくる。たとえばこの録音の仕方。気づけば音の背後にさーっと流れている“白いノイズ”に意識が向かっている。ちょうど針がレコードをトレースするあの音のように心地よい。これは意図的なものなのだろうか。

物音を含めたそんな“背後音”によって、メインの楽器としてはほぼピアノ(やベース)しか奏でられていないのに、アルバム全体に立体感が生まれている。そこで工藤さんのヴォーカルは宙に浮くように立ちあらわれ、「夜の稲」のように揺れている。

聴けば聴くほどその奥行きのある世界のとりことなり、ぼくは素直に、はまってしまいました。「フォーク的なもの」と「アバンギャルドなもの」とを感情的に乗り越えて、心のなかで繋いでいたのです。

 

トゥープが指摘するように、実験的、プログレッシヴでありながらも、人間の感情をはらんだものが確かにある。それは可能であり、矛盾はしないのかもしれない。

 

ぼくは『ロックミュージック考2』でこのように書きました。『夜の稲』を聴いた今なら、“かもしれない”ではなく“矛盾しない”と言い切れる気がします。(今後もっと追究していこうと思います。)

 

実験的な音づくり、それはただの技術的な作業ではなかった。

菩提寺医師の「追記」を読めば、ますますそのことがわかります。

 

『ロックミュージック考2』は第10回と第11回を合わせて一つとなるような、感動的な「共演」なのだと胸をふるわせている夏の夜であります。