森田“シカミミ”悠介について

シカミミこと森田悠介です。(映画随筆家/記:2018年)

昭和63年生。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。

映画を学び、教える大学で職員をするかたわら、自分自身も映画をとおして物事を考え、そのあゆみをエッセイという形式で残しています。

詳しくは、映画感想レビュー&考察サイトCinemarche(シネマルシェ)での連載コラムもご参照ください。

基本的には文章と向きあう日々を好み、静かに生活していますが、過去にはUstreamでネット番組を配信したり、舞台の制作をしたりと、活動的だったころもあります。

その残滓は、YouTubeチャンネルで確認できます。

また、“直接行動”の最たる例は、大学卒業の間際に取り上げられた新聞記事に掲載されております。(2012年1月10日付 朝日新聞朝刊

当時「3.11で人生が変わった若者」というテーマで取材を受け、東日本大震災をきっかけにデモに参加するようになった経緯、若者の声を集めて社会に可視化する必要性などを説いていて、その熱さは頬を赤く染めますが、その思いはいまも変わりません。

ひとは困難なとき、不条理なほどに苦しいときに、「ことば」を求める存在だと思います。

以前、シベリア抑留を経て帰ってきた祖父の足跡をたどるべく、舞鶴の「引揚記念館」に出向いたことがあります。

極限状態であっても決して少なくないメモ帳、葉書、日誌が書き残され、そこから読みとれることは、人間が水も食料も充分にないなかで、最後まで飽くなき「言葉」を求める姿でした。

 

記念館の目玉でもある「白樺日誌」は、文字どおり紙の代わりに白樺の皮を使用した日記で、ペンは空き缶の先をとがらせ、インクは煤を水に溶かして、書き溜めていったものだそうです。

そこに綴られているのは、日々の想いを和歌や俳句に託したものでした。辛い心境をもっともよく書きあらわす手段として、当時の人々が慣れ親しんでいた「5・7・5」の型を採ったことは、言葉ないしは文化の持つ重要な示唆を与えてくれるように思えてなりません。

 

――なぜひとは、自らの命をつなぐように、これほどまでに言葉を紡ぐのだろう。

 

わたしは、いまも書きながらそのことを考え、「言葉」と「人間」の関係にせまるため、映画を観ては思い浮かべたことをメモし、たまに路上に出たりもしています。