今はロックを聴かない

201902/05

カラオケで“良いな”と感じた曲があり、「だれの曲?」と尋ねると「あいみょん」と返される。

なんとも不思議な名前だが、高校生に人気があると教えられ、まず興味をもった。仕事柄、彼らの触れている文化を知っておきたい。

その曲に素直に感動できたことに、“オレはまだまだ感性が若いな”と一瞬自信をもったが、実際はその逆で自分の“90年代センサー”が反応したからだと分析した。

ぼくがB’z、ミスチル、スピッツなどを熱唱して作り上げた空間に、さりげなく歌われた「君はロックを聴かない」は違和感なく溶け込んできたどころが、90’sの空気をより濃密にしたように思う。

“90年代的”をそう簡単に定義すべきではないが、キャッチーなイントロ、明確なメロディライン、ドラマチックなサビといった特徴は共通して挙げられるだろう。

メディアが多様化し、それぞれの音楽がそれぞれに届けられるようになった現在、そういった大味な個性をもつ楽曲が生き残っているのはアニソンくらいじゃないかと勝手に推察していたから、ここに来てまた「J-POP」と出会えたことは驚きだった。

それから本格的にあいみょんを聴き始め、“ドーナツ盤”(「君はロックを聴かない」)や“ブラウン管”(「生きていたんだよな」)など、歌詞にあえて古い言葉を織り交ぜていることもわかってきた。

でもそれは、日本版『SUNNY』のように懐古趣味に陥ることはなく、純粋な気持ちで「未来」を感じさせるギミックだと受け止めている。その未来とは、自分が90年代~00年代に立って見つめていた将来、その感情である。

ノスタルジーとは少し違う。自分がまるごと過去にタイムスリップして当時の「今」を生き、その先の時間を思って不安や期待に胸をふくらませていたリアルな感覚が蘇ってくるのだ。

あのとき、キラキラとしたJ-POPの旋律と自分の人生が、ずっと一緒に奏でられていくものだと信じていたことを思い出す。

なんとなく嬉しくて、なんとなく寂しくて、なんとなく歌いたくなるような人生。

あいみょんの低音域から真っ直ぐに通る声を、当時の自分はたしかに聴いていた。

その後、ミリオンセラーがあまり出なくなって音楽が分散していくのとともに、ぼくまで届く「声」も減っていった。

それで「未来」はどうなったか。実はけっこう楽しく、それなりに面白い。もし過去に戻れたら、自分に「そう心配するな」と言いたい。

ただ、なんとなく静かだ。きっと「歌」がないからだ。未来まで届く歌が。

あの頃とおなじように、また音楽と人生が足並みを揃えることはないのだろうか。いまは人生だけ先に行ってしまったから、少しもの寂しいんじゃないか。

90年代に限らず、どの世代、どの青春にも言えることだろうけど。

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