引用日記まとめ13(労働について)
引用日記のテーマ「労働」2010年9月8日
本来、どんな労働も創る喜びに満ち溢れているはずなのに、現代はそれが感じられない社会になっている。今回はこのことについて考えてみる。引用日記、今週のテーマは「労働」です。
今日引用する人物はレヴィ=ストロースです。『レヴィ=ストロース講義 現代世界と人類学』(平凡社ライブラリー)より引用します。
レヴィ=ストロースは文化人類学の立場から、いたずらに生産を拡大させてゆく現代社会のあり方に異議を唱える。
「人間はただ単に、より多く生産することに意を用いるのではありません。このことを経済学者が忘れる時、人類学はそれを思い出させようとするのです。」p.117
「より多く生産することに意を用いる」という点に関しては、資本主義も共産主義も同じようなものだ。国家レベルで互いの生産力を競っているうちに、一人一人の労働は多様さを失いどんどん疎外されていった。生産一辺倒では、この世に生まれ落ちた人間の精神と、この世に与えられた自然環境を破壊してしまう。
では、文化人類学の知見から、人間にとっての労働とは本来どのようなものなのか。
「人間は、仕事をとおしてその本性に深く根ざした欲求―個人としての完成、自らの印を物質に刻みこみ、作品を通じて自らの主観に客観的表現を与えるという欲求を実現しようとするのです。」p.117
人間にとって働くとは「個人としての完成」を目指すことなのだとレヴィ=ストロースは言う。労働問題という場合、多くの人は「搾取」を問題にする。私は本来もらえる額のお金をもらっていない、もっと賃上げを!しかし僕は「疎外」された労働のほうがより問題だと思う。疎外なき人生を送れるなら、金なんかくれてやる。労働が本当の意味での自己実現とつながること。問題はお金の多少ではない。
搾取率は数字で計れるが、疎外感は数字に表れるものではない。だから今までの経済学は、疎外問題をほぼ無視してきた。なにかを創る楽しみ、出来上がった作品を愛でる楽しみ、仲間とつながりあえる楽しみ、これらを満たしてくれる労働は、「あまりに人間的すぎる」として、経済学の俎上にはのらない。
政治家は「もっと雇用を増やします」と訴えるが、雇用の内容は決して問わない。とにかく働きさえすればそれでいいだろう、ということだ。これは人間をバカにしている。経済学者も雇用統計を眺めて「よし雇用は改善している。オッケー」という。この政治・経済のタッグでは、人間労働の貧しさは解決できない。
誰もが疎外なき労働ができる社会をつくるのは、難しいし、時間もかかるだろう。だからこそ、いまの社会で、生きることと働くことの一致という困難な道を歩む人たちを応援したい。それは個人個人の夢ではなく、人類の夢である。
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