引用日記まとめ8(ミラン・クンデラ)
引用日記のテーマ「存在」2010年8月22日
前回のつぶやきが「存在への問い」で終わった関係で、今回からのテーマは「存在」とします。
引用日記、今週のテーマは「存在」。
ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫)より引用します。
「永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。われわれがすでに一度経験したことが何もかももう一度繰り返され、そしてその繰り返しがさらに際限なく繰り返されるであろうなんて!いったいこの狂った神話は何をいおうとしているのであろうか?」p.6
「永劫回帰という神話を裏返せば、一度で永久に消えて、もどってくることのない人生というものは、影に似た、重さのない、前もって死んでいるものであり、それが恐ろしく、美しく、崇高であっても、その恐ろしさ、崇高さ、美しさは、無意味なものである。」p.6
アクセル全開の冒頭である。何度も何度も同じ人生が繰り返されるとしたら、今のこの人生は「前もって死んでい」て、「無意味なもの」になってしまうのだろうか。「永劫回帰」が実際にあるかどうかは関係なく、これが「存在についての思考」にはもってこいの問いであることは確かだ。
「われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれば、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘づけにされていることになる。このような想像は恐ろしい。永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。」p.8
一瞬一瞬が繰り返されるとしたら、一つ一つの行動の責任は重い。しかしそれがニヒリズムに反転すると、人生はこうも見えてくる。「もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、われわれの人生というものはその状況の下では素晴らしい軽さとして現れうるのである。」p.8
「だが、重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?」p.9
「あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えること憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的となり、より真実味を帯びてくる。」p.9
「それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。」p.9
人間は自由を求めるものの、何の束縛もない自由を手にしては、かえって地上に存在している感覚がなくなってしまう。人が本当に「自由」を感じるのは、地に足をつけてくれるくらいの「重さ」を背負っている場合である。このように考えると「重さ」と「軽さ」の問題が簡単には片づけられないことを知る。
「そこでわれわれは何を選ぶべきであろか?重さか、あるいは、軽さか?」p.9
動物は自分の生きる環境に縛りつけられ、人間よりも不自由にみえる。しかし僕たちは動物に対して逆の感情をも抱く。なんて彼らは自由なんだと。この矛盾は、存在の重さと軽さのミステリアスな関係を物語っていそうだ。重さに忠実であるがゆえに自由な動物と、自由を持て余して苦労が絶えない人間。
自由の意味は昔と今では異なる。百年くらい前までは「理性を使うこと=自由」だったが、現在は「しがらみがないこと=自由」と思われている。人間には理性があるが、動物にはそれがない。理性を使えることが自由な存在を保証すると哲学者たちは考えてきた。しかしその種の自由に耐えられる人は少ない。
人生は、不自由で重いほうがいいか、それとも自由で軽いほうがいいのか。題名からして、耐えられないのはどうやら「軽いほう」のようだ。
「人間というものはあらゆることをいきなり、しかも準備なしに生きるのである。それはまるで俳優がなんらの稽古なしに出演するようなものである。しかし、もし人生への最初の稽古すでに人生そのものであるなら、人生は何の価値があるのであろうか?」p.13
著者はドイツのことわざ”Einmal ist keinmal”(一度は数のうちに入らない)を何度も引用する。そのように考えてしまうと、いきなり舞台に投げ込まれ始まった人生は、意味もなく「軽い」ということになる。このような意味でも存在は「軽い」。
「自由すぎて現実感がない軽さ」と「そもそも物の数に入らない軽さ」。この小説は存在の「二重の軽さ」を巧みに描いている。確かにこれは「耐えられない」。では軽すぎて空中に浮かんだ生をどうすれば実りある大地に降ろすことができるだろうか。「自分の死の自覚」が重りになる、とある哲学者はいう。
「永劫回帰」、「輪廻転生」、そして「一度だけの生」。どの考え方をとっても、今の生に死は訪れる。そこで、自分の死を意識して生きて、私の人生は有限で私に固有なものであると自覚できれば、存在していることの重みが得られる。死を先駆することで生を満たすという思想だ。
『存在の耐えられない軽さ』は、自らの死という重みで、「耐えられる軽さ」まで増量するしかない。自分の人生を自覚したとき、すべては「運命」に聞こえるだろう。クンデラはベートーベンのモチーフEs muss sein!(そうでなければならない!)を引く。軽さから重さへの変化の例として。
「ベートーベンにとって重さは何か肯定的なものであった。…重さ、必要性、価値は内部で相互に結ばれている三つの概念であり、必要なものは重さであり、重さのあるものだけが価値を持つのである。…人間の偉大さというものは…自分の運命を担っていることにあるようにわれわれには思われる。」p.46
(小説の中からわかる範囲での)まとめ。存在の耐えられない「軽さ」を避けるには、運命を自覚して「重く」なること。
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