引用日記まとめ6(池田晶子)

201008/18

引用日記のテーマ「死」2010年8月18日

 

池田晶子『睥睨するヘーゲル』(講談社)より。

 

「『自分』という絶対孤独性の自覚、これが成熟の第一条件。(…)集まって歌い踊る祭祀としての宗教、私、あれ嫌い。知性が感じられない。(…)逆宗教とでもいうべきか。信じない孤独に徹することによって、透視する宇宙、これが私の宗教性」p.38

 

「生死とは何か」を考えることが「宗教」だとしたら、僕は社会に宗教は必要だと思う。しかし宗教が信者を盲目にさせるとき、「生きた疑問」は死んでしまう。「信じない孤独に徹する」ことによって、開かれた宗教性を磨くこと。そして思考停止に陥らずに、つねに、考え続けること。知性はここに宿る。

 

「宇宙のことを考えるのが好きである。(…)一番大きいもの、を考えたがる、これは私の癖である。(…)するとそれは銀河の向こうのことですか?いえいえ全然。それなら宇宙の果てみたいな?小さい小さい。だって宇宙よりも大きいものって―。ええ、そう。宇宙の何ぞを考えているこのオノレのアタマ」

 

「宇宙の何ぞを考えているこのオノレのアタマ」と聞いて引用したくなるのは、パスカルの『パンセ』。

 

“人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。”

 

“だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。”パスカル『パンセ』

 

月に降り立って「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」などとかっこいいことを言わなくとも、この地上の「オノレのアタマ」は考えるだけで日々偉大なのである。「宇宙空間を飛んでいる人は、何を飛んでいることになるのか。私は日々、天女である」p.9

 

「人類の成熟ということを私は考える。人類総体としての精神的成熟についてである。/我々は、存在した/この、宇宙に/これは、どういうことか/と訝り考え始める心の発動こそ、哲学と宗教の分化以前、最も生な形の疑問形、これをこそ堅持しつつ我々は前進するべきなのだ。」p.38

 

池田さんによれば、哲学=考え続けること、宗教=存在するということ、となる。20世紀に展開された現代思想は、主にこの「存在への問い」を基礎にしている。哲学はよく現実世界から遠く隔たっているなんて言われるが、「我々が・世界に・存在すること」、こんなにも身近なテーマを考えているのだ。

 

 

「哲学なき宗教が盲目なら、宗教なき哲学は空虚である。」池田晶子

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