就活生の訴え(就活の問題を訴える院内集会より)
「ゆとり世代覚え書き」において、「滝に打たれる修行」を引き合いに出しながら追い込まれた就活生の実態を一部紹介したが、2012年の3月に国会の参議院会館で「就活の問題を訴える院内集会」というものが学生たちの手によって開かれた。その名の通り、就活の問題を国会内で広く訴えることを目的としたこの集会は、①採用活動の適正化、②採用情報の偏在の是正、③悪質な就活コンサルティングの制限を提言した。そのなかで、「就活生の訴え」というプログラムがあり、一人の学生が登壇し就活に対する胸の内を明かしてくれた。改めて聞きなおすと、彼女の言葉は一学生の率直な言葉として十分に共有する必要があると思ったため、ここにその文字起こしの文章を載せたい。
なお、「就活生の訴え」が語られている箇所は「就活の問題を訴える院内集会3/4」https://www.youtube.com/watch?v=R9kDArHEsKoにある。途中映像が途切れたところは文字に起こせなかったため抜けている。
『就活生の訴え』2012年3月16日「就活の問題を訴える院内集会」より
ただ今紹介に預かりました早稲田大学文学部哲学コース3年のFと申します。本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。
私は現在、世間一般で言う「就職活動」というものをやっているわけですが、「就活」って一体なにをしているかというと、まず「就活ナビサイト」に登録して、その後メールが流されてきます。そのメールを見て企業の説明会に次々と参加して、また企業からメールが来て、エントリーシートはこの日までに出せと、スケジュールに沿ってエントリーシートをどんどん書いて、エントリーシートの通った企業の試験を受けて、試験に受かれば面接を受けて…という工程を踏んで就職活動をやっているわけです。
就活について正直な感想を求められれば、私はきっぱりと辛いと申します。それはなぜかと言うと、この辛さは異様な不条理を抱えていると思うんですね。そしてこの辛さは認められてしかるべきだと思うんですけど、実際の外部の声だと、「君がいくら辛いと言っていてもみんなやっていることだし、就職したいならやらなきゃ仕方ないでしょう」とか「君の辛さなど知らない。ぼくは/私は就職活動が楽しい」っていう意見も飛んでくる。
(※文字起こし注:ここで一度映像が途切れるため、若干の言葉が抜ける。就活過程の辛さに加え、“辛さが認められない辛さ”がより就活生の精神を追い込んでいく様子が語られていると思われる。「就活」という言葉さえなかった世代への認知度の不足、また同世代においても内定を数多く取る「就活エリート」から受ける意識的・無意識的な圧力が、この辛さに輪をかける。そして以下に続く部分が「学生」であることに対する切実な願いが展開されている。)
大学生は遊んでばっかりだと。勉強してないと。サークルで集まっては飲んでばかりいる。だから内定が出ないのは当然じゃない?という意見も聞きますが、そんなことは私はないと思うんですね。私は現在文学部で人文系の勉強をしているのですが、私もだし、私の周囲も勉強はしたいと。そして実際に勉強をしている人はたくさんいます。早稲田の文学部では一年生の間はコースに属さずに、基礎とか語学とかをやるんですけど、二年生から専攻を選びます。だから、二年生から「よし、この勉強やるぞ」という気持ちになって、自分の課題を探していくわけです。人文の学問というのは、範囲がとても莫大です。どこに自分の興味が潜んでいるのか、見つけるのにまず時間がかかります。学生は日々自分の課題を見つけようとあらゆる本を読んでいきますが、ヒントは散りばめられているけど、それをどう結び付けたらよいかということについては、時間をとってゆっくりと集中して考えないといけません。学問には持続的な時間が必要なんです。だけどもヒントがやっと見つけられてきた、と思ったその時に、就活ですと。「三年生の12月から就活です。あなたたちは就活をやらないとダメ」と言われてしまって、そこでいったん自分が見つけられたと思った課題、それに向かって勉強していこうと思った気持ちなどが、断絶されてしまう。これはあらゆるところで起っていることです。気持ちを切り替えて並行して勉強も就活もやればいいじゃないかと思うでしょうが、これはもう本当に難しいことです。読書、集中力、思考力は持続的なものが必要とされますが、莫大な量のESを書かなくてはいけない。このESにとても時間をとられてしまう。面接に行かなくてはいけない。説明会に行かなくてはいけない。やらなくてはいけないことが本当にたくさんあって…。どうしてこうなってしまうのでしょうか、というのは私の本当に心から思っていることです。大学っていうのは勉強するところではなかったのですか?私は勉強しに来たんですけど、なぜ最後の二年間就職活動をしなくてはいけないのか。それがわからないというのが、就活をしていてずっと思うことです。「大学院に行けばいいじゃない」という意見も出ると思いますが、私は大学に勉強しに来たんですね。大学を卒業したら企業に行こうと思っていたし、大学院に行くという選択肢は私の中になくて。大学で勉強したいと思っていたのに、なんでこんなに就活に時間をとられなくてはいけないのか。こんなに学費を払っているのになぜ満足に勉強できないのか。そのくせ大学生は遊んでばっかりだとか、飲んでばっかりだとか馬鹿にされ続けなくてはいけないのか。非常に疑問に思います。
最後に、私は今日、未来の大学生のためにここに来ました。未来の大学生が大学で学問をすること、学問を尊ぶという気持ちを、就活というくだらない制度によって阻害されないために、私はここに立っています。四年間しっかりと自分の学びたいことを学んで、話し合いたいことを話して、やりたいことをやれるようにするために、どうかみなさん、私たちにご協力ください。ともかく今は一緒にこの状況を考えていただきたいと思うばかりです。本日はどうもありがとうございました。
以上が院内集会で語られた一人の就活生の訴えである。就活制度については様々な角度からの批判が可能だが、ぼくは「私は大学で勉強がしたいんです。どうかお願いします。」という一声よりも純粋で美しい動機を他に知らない。そして同時に大学で学問をすることが、未来の大学生への願いとして存在していることに、言いようのない哀しさを感じる。今は願いとしてしか表現されえない「大学」という場所。就活生ではなく学生としてキャンパスを生きる世界が夢物語になっていることに、毎年毎年人間から大きな可能性が摘み取られているであろう現実を思い知る。ぼくたちは「未来の大学生のために来ました」という美しい言葉を重く受け止めなくてはならない。今年もまた“未来”を生きられずに卒業してゆく“就活生”のために。
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