妻鹿日記(186)AI元年

202303/03
Category : Notes妻鹿日記 Tag :

妻しか(鹿)日記

登場人物: 私…鹿 妻…妻

第186回:妻としか学ばない その3

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DXシカミミのもとに新たな驚きがもたらされた。ChatGPTの登場である。

質問に対して自然な回答を生成してくれる対話型AI。当初シカミミは、質問の回答を得たいだけならこれまで通りの検索でいいじゃないかと高をくくっていたが、百聞は一見に如かず。使ってみてそれ独自の可能性に衝撃を受けた。

まず質問形式に縛りがない。人間同士がするような語りかけから“会話”がスタートする。

質問内容(指示できること)も多岐にわたる。知りたいことを調べられるのはもちろんのこと、その情報をまとめ、こちらが求めるものを創ることができる。

・●●について◯◯◯字程度で説明してください。
・●●と◯◯を比較した場合、前者の優位性はどこにありますか。
・●●という時代に◯◯の特殊能力を持った主人公が活躍する物語を書いてください。

これが一問一答で終わらず、質疑応答を繰り返すなかで、論点(物語)が深まっていく仕様になっていた。

検索エンジンが検索ワードの意味を教えてくれる辞書だとすれば、ChatGPTはその辞書を片手に執筆までしてくれるライターだ。この違いは大きい。あらゆる業務が効率化され、あるいはその仕事自体が整理されていくだろう。

これをもって“人間の終焉か!”“シンギュラリティの到来か!”と騒がしくなってきたが、とりあえず人間に残されるだろう領域を考えてみると、「課題を見出す力」とそれを「正しく問える力」がまず挙げられる。

課題そのものは人間が設定しなくてはならない。コロナ禍や温暖化といった地球規模の問題も、ジリ貧の会社の業績も、物価高にあえぐ人々の生活も、AIにとってはニュートラルなただの現象に過ぎない。

また、質問の方向性が間違っていては有効な回答も得られない。抽象的すぎる大きな問い、特定の価値観で歪められた問い、すでに答えが含まれている問い、自分で目的を把握していない問い……などなど。

つまり「課題を発見し、その課題の核心を突く問い」ができる人間が、対話型AI時代には求められるのではないか。だとすれば、教育不要論とは逆に、徹底的に問う力を鍛える高等教育の重要性が浮かび上がってくる。

現状では、事実を誤認した不正確な回答も多いため、それに即座に気づくためにも人間側に知識が必要だといえるが、いずれ完璧に近いプログラムになることを想定し、それでも人間が活躍できるフィールドに目を向けていきたい。

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