12年3ヶ月のユーザーから

202211/21
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Twitterのアカウントを削除した。

経営トップが差別や陰謀を含む無秩序な言論空間を認めていること、また従業員の労働環境への配慮が見られないことから、いちユーザーとしてそのような会社の利益に加担はしたくないと判断したからだ。

前者は「エシカル消費」の一つかもしれない。後者は「ESG投資」の視点、特に“Governance”への疑念に起因するもの。まあ、Twitter社に投資しているわけではないが、少なくとも今後もしない。

一連の施策で業績が回復する可能性も当然ある。だがそれと上記の問題は別だ。利益だけを考えるのであれば、極端な話、イリーガルな方法でも稼ぐことはできる。世に跋扈するグレーな企業と同じように。

この先、増益のたびに“評価”されるだろう。彼は正しかった。なぜなら稼げたから。あゝ単純な正義。善悪はどこに。ハードコア労働? 革新的なことでもなんでもない。絶対的剰余価値の増大、昔の資本家と変わらない。

しかし利益追求の合理性に限ってみても、これでいいのかという疑問がある。みずほでもボーイングでも例はいくらでも挙がるが、安全点検や保守管理をコストとみなし大幅なリストラを断行した企業が、つかの間の(数字上の)喜びを味わった後、大きな事故を起こしたことは珍しくない。

SDGsはじめ、サービスや労働の持続可能性が強調されるようになったのは、長期的に見てそれが会社(社会)の利益になると経験的にわかってきたからではないのか。

社員の大量解雇に喝采を送っているユーザー。確かに非効率な業務もあったのかもしれないが、その手段が称賛される社会が訪れた(あるいは戻ってきた)ときに、自分は解雇されないという自信はどこから湧いてきているのだろうか?

労働者は会社を出れば消費者だ。今回解雇された本人、その家族、親戚、友人たちのTwitterに対する心証やいかに。コストカットと同時に、ユーザーを失っていることに気づかないほど彼は愚鈍ではあるまい。

私は誰かの犠牲(我慢)に成り立つ場に身を置きたくない。

私は無法地帯の暴力性に耐えられない。

私はTwitterをやめた。

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