コラム執筆『アンネ・フランクと旅する日記』

202203/24

連載コラム「映画道シカミミ見聞録」3月分が掲載されました。

▼第65回|映画『アンネ・フランクと旅する日記』あらすじ感想と解説レビュー。原題の意味とキティーが消えた理由を現代の“隠れ家”から探る

――人類がこの日記を博物館にしまうには早すぎる。

いま本作を観てほしい、そして日記を“見る”のではなく引き受けてほしいという気持ちから、編集部に依頼し書かせていただきました。

また“自衛”を騙る戦争が始まりました。

戦争という言葉は都合いいように言い換えられるでしょうが、そこで実際に行われること、すなわち権威による弾圧、人権蹂躙、自由剥奪その他諸々の非人道的行為から目を背けることはできませんし、ごまかしようもありません。

しかし為政者は現に「ある」ことを「ない」と平然と言ってのけます。

だからこそ、私たちは譲れない領域のなかで「日記」を書き続ける必要があるといえます。

そこで何が起き、何をされたのか。現代はSNSという日記で即座に世界に発信することができ、世界中の人々の目に訴えかけられます。

もしアンネが現代に生まれ、同じ辛苦を経験していたら、SNSを駆使していたに違いません。

本作で蘇るのはアンネの“友人”のキティーですが、現代ならではの視点で、連綿と続く排外の問題を告発しています。

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