映画『カウンセラー』感想と考察。逆転移を映像化したノワール仕立てのソリッド・シチュエーション・スリラー!
映画『カウンセラー』(監督:酒井善三)を特別マスコミ試写で鑑賞。
産休前最後の仕事を終えた臨床心理士のもとに突然、一人の女性が現れます。
その奇妙にして巧妙な語りに脅かされる治療者の立場。彼女は「妖怪が見える」と言い出して、めくるめく回想が現実を侵食していきます。
① 逆転移の映像化
本作の感想には、“これは夢か現実か”“混乱 or 混同する”といったフレーズが多いようです。
真相は闇の中、といったところでしょうか。しかし、それこそ精神分析(心理療法)の視点に立脚すれば、少なくとも一つの答えにたどり着けます。
それは「逆転移の映像化」ということです。
まず「転移」とは、クライアント(以下Cl)がカウンセラー(以下Co)に対して、さまざまな感情をあらわにしていく治療過程を指します。
怒りや憎しみ、悲しみを訴え、ときには同情を誘いながら治療が進んでいくわけですが、それらは本来、原因となった者に向けられるべき感情です。
Coは話を聴くという形で問題となった関係や状況を再構築し、滞っていた感情をしかるべきところに収める(自分で言語化してもらう)手助けをします。
一方で「逆転移」とは、文字通りこれとは逆のことが起こります。CoがClに無意識に感情移入し、自分の姿を投影してしまいます。
Clの物語に入ってしまう(回想と現実の越境)、あるいは取り込まれてしまう(妖怪の憑依)というのを、本作は映像を武器に視覚的に表現しています。
実際のCoが観たら、臨床の場で起こりうる場面をよくぞ可視化してくれたと、快哉を叫ぶでしょう。
それだけではありません。
逆転移によって、Co自身に潜むトラウマも掘り起こされる様子まで、本作は巧みに描写しているのです。
② フィルム・ノワールの展開
ネタバレを避けるために詳述はしませんが、倉田(Co)と吉高(Cl)には、「出産への不安」と「秘められた欲望」という共通項が確認できます。
それらが逆転移を加速させ、ふたりはまるで合わせ鏡のように、自他の境界を見失っていきます。
回想と現実がリンクする際にポイントとなるのは「音」です。
雨音、やかんが鳴る音、電車の通過音……。これらが枠(ショット)を越えて響くとき、虚実を問えなくなります。
その一番の例が、吉高の語りに合わせて倉田の携帯電話が着信した瞬間です。
シンクロする、という言葉は日常でも使いますが、臨床においては「シンクロニシティ」という用語があります。
よく「共時性」と訳されますが、ここでは「意味ある偶然」くらいに捉えておきます。
臨床の事例を読んでみますと、治療が重要な局面を迎えたところで、CoとClとの間で偶然の一致が生じたという報告が少なからずあります。
果たして、互いの無意識が響き合っているのかは証明しようもありませんが、そこが安易には踏み込めない身命を賭した場であることは、伝わってきます。
倉田は相手に自分の影を見いだすようになり、話が進むにつれ実存が揺らいでいきます。
例えるなら、フィルム・ノワールに登場するような探偵が、見知らぬ依頼主から与えられた謎を追っていくうちに、自分の過去やトラウマに直面していく、という構成です。
この意味で本作は、正統なミステリーの系譜に位置づけられます。
つまり、真理(心理)を追う者が追われるという探偵映画さながらの展開が、たった一室(カウンセリングルーム)で繰り広げられていくのです。
③ 新たなソリッド・シチュエーション・スリラー
この状況を聞いて、『キューブ』や『ソウ』などを連想される方もいるかもしれません。
まさに本作は「ソリッド・シチュエーション・スリラー」の新たな形を提示したといえるでしょう。
厳密には、回想シーンは各所で撮影されているためワンシチュエーションではありませんが、倉田と吉高が相対する主戦場――ドラマが生まれる場所――は、カウンセリングルームです。
逆に本作を観たあとでは、“そうか、カウンセリングとはソリッド・シチュエーション・スリラーだったんだ!”と気づかされます。
目に見えない「逆転移」を映像化し、「フィルム・ノワール」さながらのサスペンスを一部屋42分に詰め込んだ熟練技の力作。
おそらく観客=カウンセラーの立場で鑑賞することになると思いますが、この臨床映画を“分析”したら最後。自分も取り憑かれてしまうかもしれません。どうかご注意を…!
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