妻鹿日記(75)パラダイムシフト
202004/03
妻しか(鹿)日記
登場人物: 私…鹿
第75回:鹿のぼやき その6
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“ソーシャルディスタンス”という言葉が一気に人口に膾炙するようになった。
感染拡大を防ぐために、人々のあいだで社会的距離をとることが勧められている。
この「距離をとる」ということが、外出自粛の範疇を超え、歴史の歩みを根底から覆す動きに思えてならない。
なぜなら、現代は分断の世界的潮流のなかで、「つながる」ことに希望を求めてきたからだ。
テクノロジーの発達とあいまって、資本主義の格差を是正するように(あるいは戦略として)、さまざまな場面で「シェア」が実践されるようになってきた今日。(カーシェア、ルームシェア、ワークシェア等々。)
いっときノマドワーカーなる働き方がもてはやされたが、いつでも、どこでも、だれとでもつながれる状態が、新しいライフスタイルないしはライフハックを可能にしてきた。
しかし、つながること自体にリスクが見いだされてしまっては、文字どおり手も足も出ない。
たしかに、隔離されながらもいまの通信技術を使えば、リモートワークやWEB会議などで“つながる”ことはできるだろう。
でもそれは、シェア(共有/共生)に対して、コンタクト(接触/連絡)にとどまるのではないか。すくなくとも、スタイルとして根づくには時間がかかり、別の価値観が必要になるだろう。
映画の想像力を借りれば、自宅にこもりながら、アバターとして仮想空間に生きることも考えられようが、世代を超えたつながり(社会)が築けれるかどうかは、未知数だ。(『レディ・プレイヤー1』は結局、現実世界を無視できずに終わった。)
個人的には「シェアの時代」に期待を寄せていただけに、自分自身も大きな価値転換に直面している。
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