妻鹿日記(62)対策会議3
202003/05
妻しか(鹿)日記
登場人物:私…鹿
第62回:鹿のぼやき その1
* * *
通勤電車から、子どもたちが消えた。乗っているのは鹿をふくめ、おじさん、おばさんばかりである。
寂しい。想像以上の終末感。“若さは失って気づくもの”とは、なにも自分自身のことだけでなく、社会全体のことも指していたのだと、今更ながら思う。
最近の映画は、とくにアニメで顕著だが、“子どもたちの反抗”を描くものが多い。昨年の興収1位の『天気の子』がいい例だろう。
その反抗は、大人たちを「ぶっ倒してやる!」と意気込む古典的な抵抗の形はとらずに、「それならぼくら、勝手に生きますんで」という姿勢で示されている。
前者は象徴的に“父殺し“とも呼ばれるが、大人からしてみれば、逃れられるほうが殺されたに等しく思えるだろう。
殺風景な車内で感じた寂しさには、この種の感情も混ざっていた。ああ、取り残されてしまったと。
どれほど少子化が進もうとも、子どもたちが絶滅するわけではない。彼らは少数なら少数なりに自分たちの社会を築いていき、そのような状況を招いた過去の大人たちは、大量に見捨てられる運命にある。
新型肺炎が、若者は症状が出にくく、高齢者が重症化しやすいというのも、示唆的ではないか。
いまの大人たちは、ガラガラの電車に揺られている時間でいいから、社会にほんとうに必要な施策について思いを巡らすべきだろう。もちろん自戒を込めて。
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