妻鹿日記(37)日報
妻しか(鹿)日記
登場人物:私…鹿
第37回:鹿しかいない日 その4
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妻は職場へ、鹿は映画館へ。たがいの“仕事場”にむかう日。以下、鹿の日報。
【13:40】 新宿で『ぼくらの7日間戦争』を観た。これは1988年、宮沢りえ初主演作としても話題を呼んだ同作が、舞台を新たにアニメ化されたものだ。
高校生たちがとある事情で廃工場に立てこもり、父親や警察、土木関係者や政治家たちを巻き込んで、智恵を絞った“闘い”を繰り広げる。
2019年は『天気の子』が最大のヒット作となったが、年の瀬にも「子どもvs大人」のアニメが公開されたことを思うと、令和になってひとつ「子ども」が重要なテーマに浮かびあがってきたとうかがえる。
もちろん今も昔もアニメーターをはじめとする作家たちは“子どものための物語”を描きつづけてきた。
でもそれは「未来がある」という想定と、「子どもがいる」という前提のもとに築かれた夢であり、そのどちらもが現実的に崩れかかっている絶壁から、子どもたちに語りかけるべき“言葉”をもう大人たちは持っていない。
たとえばグレタさんの訴えに、大人たちは嘲笑以外のどれほどの言葉を返せているだろうか。
あるいは出生数90万人割れという統計に、大人たちは筋の通った言葉をなにも見いだせずにいる。
いずれ地球は滅びる、人類は滅亡するとしても、じぶんが受けたものをつぎの世代に返せないようでは、大人とはいえない。もらってばかりなのは、子どもだ。
これまで現実に抗うにせよ、現実を無視するにせよ、その間隙に夢を託していたわけで、現実がやってきてしまった以上、夢はつぶれる。
そしてこの事態を招いた象徴的な姿勢が、おそらくこれ。
アニメ版『ぼくらの~』では、『天気の子』がそうであったように大人たちは異口同音に「大人になれ、大人になれ」と子どもたちを諭す。
じゃあ「大人ってなに」と聞かれると、ある父は「上の命令に従う者だ」と答える。
いや、それって子どもじゃん! 言われるがまま、なにも考えず、手足を動かす、赤ちゃんじゃん!!
たしか気づき、考え、行動するって小学校で習ったと思うが、“大人”になるにつれてどんどん幼稚化していくようです。
この「大人と子どもの倒錯」を指摘する「子どもたちの映画」が、令和を象徴・暗示するように増えてきた。大人が語れないからには、それは「子どもたちの、子どもたちによる、子どもたちのための映画」になるはずだ。
周知のように、大人がその場しのぎに言葉を発すれば「嘘」になる。だが、その嘘を守る“夢の天蓋”はもうない。
子どもたちは、みずからを守るものがなにもない、ただ突き抜けた青い空の下で、じぶんたちの言葉を探しはじめている。
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