若者のすべて/愛にできることはまだあるかい
8月9日放送のミュージックステーションでは、RADWIMPSが『天気の子』主題歌を地上波で初演奏したことがいちばんの話題となったが、おなじ番組内でフジファブリックが「若者のすべて」を披露したことに、ふと、気づかされたことがある。
『天気の子』こそ、“夏のおわり”にあらがって、“若者のすべて”を、謳いあげた作品なのではないかと。
新海誠監督が映画における音楽(劇伴)を重要視し、楽曲から作品の着想を得ていることは、よく知られている。
たとえば、このような感じで。
“愛にできることはまだあるかい”という曲をもらったときも、「あ、この映画はそういう話なんだ」って思ったんです。《愛にできることはまだあるかい/僕にできることはまだあるかい》という問いかけの曲ではあるんですけど、同時に「まだあるよ」と言ってくれる曲でもありますから。
「CUT」2019年8月号 P17
ここから、常識を説く大人たちに立ち向かう、少年と少女の物語が紡がれていったと考えられる。
「大人になれ」なんて大人たちの立場と都合で言われるもので、少年・少女たちの願いや将来を想った言葉ではない。
僕が描きたいのは、いつも個人の願いの物語です。個人の願いというのは、しばしば学校や社会的にあるべき姿というものと相反するわけですが、そんなところから、社会から逸脱していく少年、少女を描きたいという思いにつながっていきました。
「月刊ニュータイプ」2019年8月号 P17
「大人になる」ことは、彼ら自身の選択に委ねる。それが、ほんとの大人の姿勢だ。
“真夏のピークが去った”からはじまる「若者のすべて」は、子どもたちが戯れた『天気の子』の季節のあと、「愛にできることはまだあるかい」につづく曲として、いつまでも静かに流れているように聴こえた。
歌詞にある“夕方5時のチャイム”は、「天気の子」らに、戻るべき場所に帰るよう告げるもの。
今日はなんだか胸に響いて/「運命」なんて便利なもので/ぼんやりさせて
フジファブリック「若者のすべて」2007年
対して“運命”の響きは、時計の針で刻まれるようなときを超えてゆく。
「世界」の約束を知って/それなりになって また戻って
彼らのまえには“世界”の約束ごとが立ちはだかる。夏はおわった。家出少年たち、さあ、おうちに帰りなさいと。
最後の花火に今年もなったな
作中、神宮外苑で、ふたり見上げた花火。ここで夏はおわるのか?
最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな
いや、大事なのは、切れ目じゃない。それでは“僕ら”は変われない。
途切れた夢の続きを/とり戻したくなって
帆高は“夏の約束”を飛び越えて、いちどは空に舞い散った陽菜を、じぶんの生きる世界に連れてかえってくる。
この瞬間に、若者のすべて、が凝縮されている。愛にできることが、奏でられている。そう気づかされたある晩のことであった。
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