引っ越し見聞録①
上京からずっと住んでいた麹町を去るとき、おなじ町にビルをもつ大手予備校のそばを通った。
多くの受験生たちが、参考書やノートを開いている姿がみえる。
ぼくもじぶんの高校時代を回想するかと思いきや、頭をかすめたのは進学後から現在にいたるまでの時の流れだった。
朝も晩も机にむかい、必死になって勉強したその結果は、果たして人生のどこにつながっているのだろうか、と。
もちろん、直接的には進学先の大学に結びついたといえる。しかし、当たり前だが人生はそこでおわらない。
その後の出会いや、多少の浮き沈み、それらを経たうえでみつけた仕事などは、“受験勉強”の成果とはあまりにも遠い場所にあるように思える。
つまり、ぼくが予備校のガラス窓のむこうに感じとったものは、彼/彼女らのたゆまぬ努力と、コントロールの効かない人生との間にあるギャップであった。
このことは、決して努力が無駄だといっているのではない。むしろ、いまの努力が思いもよらぬ形で花開くことへの期待を抱きつづけてほしいという祝福を、そのとき無意識にも贈っていた。
受験も競争のひとつだから、“敗者”はかならず生まれてしまう。
でもそれは、その後どこまでも広がる人生にとっては、大海に垂らした1滴の雫ほどの影響しかない。
また“敗者”は“勝者”より、“海の広さ”を知るかもしれないし、傷ついた心でだれかの心を癒せるかもしれない。
そうして人生はつづき、他者とつながっていき、じぶんらしい居場所、じぶんの住まう場所をこの世界の片隅に築いていくのだろう。
だから大事なのは、なにがあっても、じぶん自身に対する期待を忘れないことだ。机から目を離したとき、苦しくても、じぶんの姿を見失わないことだ。
見えない糸で紡がれた人生に思いをはせ、ぼくは新しい居所へとむかった。
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