「100パーセントの晴れ女」と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

201906/04


【映画サイトCinemarche連載✍️|新海誠から考える令和の想像力──セカイからレイワへ──】


第5回「 新海誠『天気の子』予報②から「100パーセントの晴れ女」を解説」
 https://cinemarche.net/column/shinkai-5/


7月19日に公開を控える『天気の子』予告編の第2弾が、5月28日に公開されました。


ここであらためて、既出の情報もふくめて、「きみとぼく」の関係を整理してみます。

(1) 夏の日、空の上で、ふたりは「世界」の形を決定的に変えてしまったこと。


(2) 帆高(醍醐虎汰朗)は東京に来た「家出少年」であること。


(3) 陽菜(森七菜)は世界の「秘密」を知る少女であること。


(4) 帆高は「仕事」を探していること。


(5) 「雨」が降り止まない東京であること。


(6) 陽菜は「100パーセントの晴れ女」であること。


ここまでに論じてきたことが、すべて出そろいました。


今回は、新しくでてきた台詞「100パーセントの晴れ女」に、村上春樹の掌編「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」の補助線を引いて、新海監督が描こうとしている“愛”のかたちを考察しています。

村上春樹『カンガルー日和』(講談社文庫、1986年)

おそらく、RADWIMPSの主題歌「愛にできることはまだあるかい」とつながってくることと思います。

ご一読いただけましたら幸いです!


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