第25回別冊スクラップブック『峠の釜めしを買ってみた』
連休中、峠の釜めしが無性に食べたくなった。土釜の使い道にあれこれと思い悩むあの駅弁である。思い立ってさあ群馬県は横川へ行こうとはなかなかできないので、グーグルマップのストリートビューを動かし旅行気分を味わっていた。国道18号に指を走らせクリックにクリックを重ねて曲がりくねった碓氷峠を越えると、軽井沢を経て長野県佐久市に入る。僕にとって馴染みのある販売店は横川の本店ではなく祖父が住んでいた佐久の「おぎのや」だった。上信越自動車道の佐久インター近くに城のような外観で大きくそびえ立ち、帰省するたびに寄っては釜めしを注文し、お土産にはクルミの饅頭を買って帰った。
ところが佐久インターの付近に移動しあたりを散策しても見当たらないのである。3D機能を駆使してしらみつぶしに探しても見つからない。PCのファンの音がいたずらに部屋に響き渡るのみだ。ストリートビューから地図に切り替え「おぎのや 佐久」と打ってみる。するとフォークとナイフの印の横に「閉鎖」という文字が立ち現れた。一瞬、目を疑った。子供の頃より行けばいつもそこにあるものだと思ってきた。その目にはいつも大勢の客で繁盛しているように見えたが、思えば「佐久平駅」が開業し新幹線がこの地を通るようになってから自分も鉄道の方を利用し始め、巨大ドライブインに乗り入れることは少なくなっていた。
調べると佐久店は佐久インターが開設された翌94年にオープンし、98年に長野オリンピックを迎え(僕は開業当初からもっとも活気があった時期までを少年期に見てきたわけだ)、その後足が遠のいているうちに2015年に閉店となった。その間、佐久へ通じる道は国道から自動車道へ、高速から新幹線へと移り変わり、祖父の見舞いも亡くなるまでもっぱら新幹線で行き来していた。
パソコンを閉じ、釜めしを食べに行こうと思った。
いまや東京駅に行けば有名な駅弁はほとんど手に入れることができる。旅情もなにもないが、花より団子、きっとそれよりも人々の露わな食欲が勝ったのだ。僕もその例にもれず、改札内にある「駅弁屋 祭」に向かうことにした。ゴールデンウィークで店内は人の波でごった返し、文字通り足の踏み場もない。押され流されながら目当ての弁当の前に来たら素早く手を伸ばす。回転寿司みたいなものである。峠の釜めしが売り切れていると気づいたのは、そうやって2、3周した頃だった。コンビニ弁当ではないのだ。思いついて夕方に訪れてもほかほかと待っていてくれるはずがない。
だが鳴り出したお腹は汽笛のように出発進行を告げる。Twitterで釜めしにありつけた人たちのつぶやきを検索していると、どうも東京駅ではなくGINZA SIXとの関連で出てくる。もはや駅でもドライブインでもなんでもない銀座に“峠の釜めし”とはわけがわからなかったが、その情報を頼りに歩を進めた。八重洲方面に出て、外堀通りを西銀座に向かって歩き、途中で東に折れて銀座の中央通りに移っては六丁目までひたすら直進。三越前の交差点を渡ったあたりから徐々に歩幅が大きくなり、五丁目からはついに早足になって目標に突進。入口でパンフレットをかっさらい、地下二階に「荻野屋」の文字を目にした時にはすでにエスカレーターに踏み出していた。
4月下旬にオープンしたばかりのためか、ここでの混雑も一方通行で歩かざるを得ない状況で、目標と最短距離になったところで列から飛び出た。本当にあの「おぎのや」がある。だが、釜めしがない。上州牛ステーキ弁当は残っていたが、食べたいのは肉は肉でも炊き込みご飯の上に敷かれたあの鶏肉である! この戦いは明日に持ち越すことを自らに誓い、すみやかに辞去、一応東京駅で購入していた鯖寿司を夕暮れの空の下でかじりついた。好物なのでうまかった。
翌朝、休日にしては早起きした僕は朝食もそこそこに(いうまでもなく後に控える“戦利品”のためである)自宅を出て駅に駆け込んだ。リターンマッチの相手はGINZA SIXではなく東京駅にした。少しでも歩く時間が惜しかったのである。昨日とは違い売り切れの心配がない時間帯に、余裕しゃくしゃくといった感じで駅構内に乗り込んだ。そしてその気勢をそがれるのには十分とかからなかった。なかったのである。峠の釜めしはまだ“売られて”なかったのである! コンビニ弁当ではないのだ。お昼時にあわせて仕込み、列車に乗り込むお客さんに配られる。利便社会に慣れ親しみ食の感覚が鈍っていた自分をこのときばかりは大いに恥じた。
お店の人に尋ねると11時には店頭に並ぶとのことで、それまで待合所で読書をしながら時間をつぶした。ただ弁当の完成を待つためだけに改札内で1時間ほど本を読んで過ごして者は自分だけだと断言できる。時季はGW、みんなどこかへ向かう途中のはずだ。
10分前くらいから店頭で張って待っていた。結果、定刻より5分ほど遅れて出てきたが、その5分が不安とないまぜになって永遠のように感じられた。ワゴンを引くお兄さんから「出来立てでまだ温かいですよ」と声をかけられ、不覚にもじんときてしまった。そのぬくもりを手にしながら、僕は考えた。駅弁はやはり列車内で食べるべきではないか。それもクロスシートか特急の指定席で、流れる景色を横目に見ながら食べるのが作法といえよう。
それで、出発した。駅弁を車窓を眺めて食べるために北千住に移動し、特急りょうもう号に乗車した。行き先は館林に決めた。そこに住まう祖父母は幸いなことにまだ健康に生きている。だがその「当たり前」がいつまであるのかはわからない。行けば必ずあると思っていたものが次々と失われていく今、現にあることの貴重さ贅沢さを味わっておきたい。そんなことを思いつつ久しぶりに食した峠の釜めしは、豪華列車「四季島」に乗るよりも間違いなく豊かなひと時だったと思う。
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