八月 私の狂詩曲 No.3

201508/08
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 母の生家を訪れると、いつも祖父と祖母が待っていて、まずはお腹を満たす食事でもてなしてくれる。もうこれ以上食べられないと眠りについても、翌朝には普段はあまりとらない朝食をかきこむ自分がいる。

 

 ときは遡り、母とその妹が子どもだった頃。これからピクニックに行くのであろうか、祖父は弁当をこしらえている。ふたを開ければたくさんのゆで卵。四人家族で誰がこんなに食べるのかと祖母があきれながらに訊いても、祖父は「おーい、食べろ食べろ」と子どもたちに勧めている。

 

 嬉々として殻をむく祖父の記憶の片隅には戦時下の卵不足があり、終戦後何十年と経っても食欲を駆り立てていた。配給制であった砂糖を入れた卵焼きなど、医者の子でもなければ食べられなかったという。

 

 ある新聞の社説にどうしたら平和について身近に考えられるかというものがあった。その一つとして、私たちが猛暑のなかで飲んでいる冷たいコーヒーは、おもに政情が不安定な地域で生産されており、もし戦争が起きたら簡単に喉を潤すことができなくなることが挙げられていた。このように不足するかもしれないものを想像してみる一方で、今でも過剰に求めてしまうものを見聞きするのも平和に触れるきっかけとなるだろう。

 

 “戦争が起きたら”と書いたが、戦争は始まるのではない。始めるのだ。また終わるのでもない。終わらせる主体がそこにはある。そう言うとすぐに為政者たちの顔が浮かぶが、国民主権に立脚した国ならば「主体」は私たち一人ひとりの顔をしている。

 

 戦後七十年。今や祖父は一日二食でいいという。それでも、朝に出してもらった味噌汁には、千切りの大根と一緒になって、一個のゆで卵が入れられていた。

 

 

卵

 

 

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