子房摘み

201505/13

 

 つつじの花びらの根もとを唇ではさみ、蜜を吸いだしては「今年はいい咲きだ」と談笑しているおじさんたちが公園にいて、見上げる五月の陽光が目に染みた。

 僕の郷里、群馬県館林市。最近では日本一暑い町として知られるが、ここでは老いも若きも観光名所に咲き誇るつつじを中心にして一年が駆け巡る。誰が教えたか、こどもが下校途中にその花弁に小さな口をあて「道草を食う」のは、駄菓子屋で赤い着色飲料を飲むのと同じような習慣になっていた。

 そうして大人になったかつてのこどもも、時季になれば心弾ませてつつじに群がり、帰り道には居酒屋でホッピーの入ったグラスを無心にかき回す。

 

 いわばそこに住む人々のアイデンティティともいえるその花は、古いもので樹齢800年、大きいもので高さ5メートルを超えるという。寛文年間(1661-1672)徳川綱吉によるツツジの増殖があり、その後歴代の城主により保護育成されてきた。

 城については一部の遺構しか残されていない今、世界一と謳われる約一万株ものつつじの手入れをしているのはどんな大きな手だろうと思われるかもしれないが、なんのことはない、こどもたちである。無数の小さな手が歴史あるつつじを守っているのだ。確かにそこには市をはじめとする行政機関や造園業者が関わっているといえよう。しかしそれはただの管理という範疇に入れ、つつじが咲き終わった季節に、学校の生徒たちがこぞって「子房摘み」に参加する姿こそ、彼らの成長とあいまって育成の担い手として見えてくる。

 

 蜜を吸うことは各地で聞き及ぶ思い出で、特段ここだけの話ではない。一方で「子房摘み」と言うと、その懐かしさはあまり共有されないようだ。僕たちがこどもの頃、授業の一環だったかボランティアだったか忘れてしまったが、枯れたつつじの子房を摘みにいくという行事があった。実のところ「つつじ」と言って思い浮かぶのは色鮮やかな花弁ではなく、べたべたとした子房の感触である。

 子房は雌しべの根もとにあり、指でつまんで一つずつ取ってはビニール袋に入れる。間違って新芽を摘んでしまうと非常にばつが悪く、何事もなかったような顔をするのに苦労した。子房を摘むのはなにより来年にまた花を咲かせるためであり、新芽を取ってしまっては元も子もない。

 

 子房のなかの胚珠はやがて種子となるが、養分を種子ではなく新芽に行き渡らせるべく摘み取り、そうすることで次の年の開花具合を良くする。これが子房摘みをする意味だ。考えてみれば、日常につつじが群生している地域でなければそれは行事になりえず、従って記憶にも差異が生まれてくる。

 ともかく「観たら、摘む」「観たければ、摘む」は少年時代からの習慣となり、街でつつじを見かけると膨らんだ子房の有無を確かめてしまう。これは責任感や道義心の現れではまったくなく、ひとえに習慣のなせる行為であり、例えば他の植物の生態には無関心だし、ましてやこどもの頃はハーブの葉をもぎってこすって香りを楽しんで登校するなど生育には一顧だにしなかった。

 

 とはいえこの習慣、心に根ざすつつじの子房摘みは、けっこう面白い育て方だなと最近は思う。

 

 新芽を守り開花まで導くには、ある程度の種子を捨てなくてはならない。養分には限りがあり、花も果実もというわけにはいかないのだ。

 ということは「果実」を優先することもあるわけで(多くの商品果物はそうだ)、その場合は「花摘み」を行なうことになる。リンゴの花は白く美しいが、求められるのはあの赤くて丸々とした美味しい“リンゴ”であり、つつじとは逆に摘花される。

 

 さて、人間を花になぞらえるならば、必要とするのは子房摘みか、それとも花摘みか。種を夢と置き換えればなおさら興味深い問いであり、それだけでも十分味わえる。

 

 自分の場合もそうだが、あれもこれもと追い求めてきたがなかなか実にならず、悶々とした日々を送っている者はきっと少なくない。僕が故郷の地を踏みつつじを目にして思うのは、いくつかの種を捨てる勇気だった。また失敗は生きる力を絞り込む過程だと捉えて、決して無駄ではないとも確信した。

 

 捨ててこそ、咲く花もある。つつじをアイデンティティに重ね合わすことのできるこの身は、多くを実らせるにはおそらく不向きで、一つの種から多くの花を燃えるように将来咲かせたい、そう感じるのである。

 

つつじ

 

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