短編小説1『少年時代の妹』

201407/11
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 物心ついたときからりーちゃんはそばにいた。歩けばひょこひょこと後ろをついてきて、座れば左右のどちらかにりーちゃんはいた。ささいなことでよく泣かせてしまった。叔母さんはしゃがんで聞く。「じゃあもう帰る?」りーちゃんは髪を揺らして首をふる。「帰らない。ゆうくんと遊ぶ。」ぼくは独り占めして譲らなかった、きかんしゃトーマスをりーちゃんに向けて走らせた。

 

 ぼくが生まれた翌年にりょう子も生まれた。でもまもなく離婚して、りーちゃんはお母さんと二人で暮らしはじめた。だけど近くにお母さんの姉家族が住んでいたから、二人きりじゃなかった。互いの顔も認識できない幼児の頃から、ぼくとりーちゃんは、姉と妹の、すなわちうちの母と叔母のアパートを行き来して過ごした。

 

 叔母さんは娘のためにがんばって働かなくてはならなかった。一方で我が家には専業主婦の母さんがいる。りーちゃんはしばらくぼくらと一緒に生活することになった。単身赴任の父さんはたまに帰ってくる。「お帰り!!」二人のこどもの声がこだまする。父さんは駆けつける息子を抱っこしたあと、りーちゃんに歩みよる。「ゆうを3回たかいたかいしたからな、りーちゃんも3回、たかいたかいだ。」部屋がキャッキャとにぎやかになる。「パパ、パパ!」

 

 りーちゃんは父さんのことを「パパ」だと思っていた。ある年の「父の日」、保育園で“お父さんの顔を描こう”という課題が園児に与えられた。りーちゃんは、ぼくの父さんの顔を描いてきた。親戚ともども保育園の無神経さに腹を立てた。父がいない子はどうするんだ、おかしいじゃないか、こんなの……。叔母さんだけは冷静に、早いかもしれないが、いや早いうちに伝えようと、辛い気持ちを抱えて打ち明けた。

 

 「ゆうくんのパパは、りーちゃんのパパじゃないの。」

 「……りーちゃんのパパは?」

 「ずっと昔に……」言葉を選んだ。「バイバイしたの。」

 

 りーちゃんはなかなか泣き止まなかったという。それでも次、父さんに会ったときには、元気にこう言った。「ゆうくんパパ! ゆうくんパパ! お帰り!!」

 

 

 

 叔母さんは一生懸命に働き、娘とともに住むマンションに引っ越した。今度はぼくがりーちゃんの家に足しげく通うようになった。りーちゃんはいつもままごとセットを用意して待っていた。「お帰り! パパ!」 プラスチックの包丁で、マジックテープで繋ぎとめられた野菜を切る。「トントントントン、はい!」 ままごとでもセーラームーンごっこでも、ぼくは楽しかった。りーちゃんといると、なんでも楽しくなった。

 

 逆にりーちゃんがうちに来ると、ぼくはどうしてもおもちゃを独り占めしてしまい、自分が遊んでいないものに対しても、りーちゃんが触ったら「ダメー!!」 りーちゃんはプラレールのくるくる回る電車を見ながら黙っていた。そしていつも夕立のように泣き出す。ぼくは母さんに叩かれながら、りーちゃんが泣き止むのを待つ。おもちゃは全部放出して。

 

 「……りーちゃん、ご飯食べていく?」

 「……食べていく。」

 

 りーちゃんは、なにがあっても離れなかった。まるで妹のような存在だった。振り返ればそこにりーちゃんがいた。ぼくが箸で机をコンコンとすると、りーちゃんも机をコンコンした。母さんもおばあちゃんも「お兄ちゃんのマネをするからだめよ」とぼくに言いつけていた。

 

 

 

 ぼくが小学生になると、当然ながら、りーちゃんも一年遅れで同じ小学校に入ってきた。学校で見るりーちゃんはなんだか照れくさそうだった。ぼくはランドセルに入れ忘れた教科書を借りにりーちゃんのクラスに行った。一つでも学年が上の子が来ると視線が集まる。「ねえ、ねえ、あの人、だれ?」 りーちゃんはなんて答えていたのだろう。ぼくも周りから尋ねられた。「いつものあの子、だれ?」「妹のりょう子。いじめちゃだめだよ。」

 

 二人ともおもちゃは卒業し、会えばTVゲームの画面の前に座っていた。

 「りょう子はやらないの?」

 「うん、見てるだけでいい。」

 

 ぼくはコントローラーを握り体を動かし、りーちゃんはじっとそれを見つめている。下手なことはなかったと思う。りーちゃんのプレイ記録が残っていて、悪くはなかった。ただともにいると対戦せずに、あいまに好きな少女漫画を読むこともなく、ひたすら画面を眺めていた。

 

 そんなぼくたちに叔母さんからゲームボーイのソフト「ポケットモンスター ピカチュウ」のプレゼントがあった。それはもう、飛び上がって喜んだ。主人公の後ろにピカチュウがついてくる新作だ。同じゲームを共有し、やり遂げる目標ができた。一人でゲームはつまらない。

 

 

 

 叔母さんの縁談がまとまったのはちょうどその頃だった。ぼくが小四で、りょう子が小三のとき。両家の顔合わせがあり、ぼくらはその席で無邪気に遊んでいた。「結婚」とは言葉では知りつつも、それが実生活でなにをもたらすのかはよくわかっていなかった。

 

 新居を見に、嫁ぎ先の県に家族で行った。りーちゃんは大きな家にぽつりと立っていた。りょう子! ポケモンどこまで進んだ? やってないのか、忙しかったからなあ、そうだ、こっちの学校はどう? わからないか、そりゃまだね……手紙書くから! ぼくから手紙書くから! 待っててなあ!

 

 ぼくは窓から顔を出し、その小さな顔が見えなくなるまで、手を振っていた。暑い夏の日だった。夏休み、うちから近くの市民プールまで水着のまま駆けていった。互いに浮き輪のなかに身を入れて。売店でかき氷を買って帰り、唇の色を見て笑いあった。……十分くらい走ったとき、急に大粒の涙がこぼれ落ちてきた。父さんと母さんにばれないよう、後部座席に体を横たえた。りーちゃん、これは“バイバイ”じゃないよ、また会える……泣いているのはどうしてだろう、でもとにかく“バイバイ”じゃ、ない、から……。

 

 

 

 最後まで声を押し殺して泣きつづけ、家路についた。ぼくは本当の一人っ子になった。りーちゃんが、いとこになった。約十年間、なにをするにも、どこに行くにも一緒だったりょう子。ぼくの少年時代の妹が記憶から消え去るまで、りょう子はこれからなにをしても、どこへ行っても、我が家の一員だ。家族はいくつあったっていいだろう? 今は自分たちの道を精一杯に生きよう。そして人生がまた交差して、再び心かよわす日が来たら、こう言おう。「お帰り!!」と。

 

 

少年時代の妹

 

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