第19回別冊スクラップブック『愛しのブースカ兄妹 / 恋の永劫回帰』
「淡泊宣言」をしたらさまざまな反響があり、ぼくの「身体的下部構造」はいまもって沈静化していない。いや、そうではなく“沈静化の状態”こそが問題なのであろう。カフェ連れ回しの件での「彼女をカフェイン中毒にさせる気か!!」というS先生のお叱りはもっともで、ぼくにはただ、一線を踏み越える気勢がなかったのだ。
やっぱり静まっていてはいけない、その時々の想いを、気持ちを、ちゃんと言葉にして伝えるのがなによりも大事なんだ……。ぼくはその決意を固めるために、吉祥寺の中華料理屋で親友のKさんに恋愛相談にのってもらった。Kさんはぼくの一連の過ちにうん、うんと耳を傾けたあと、こう言った。
「オレね、この前好きな人に告白したんだ。そしたらさ、一時間にわたって説教されたよ。どうしてそんなこと言うの! しっかりしてよ! だってさ。ハハハ……」
Kさんは力なく笑った。衝撃が走った。告白して“ごめんなさい”でも“好きな人がいるから”でもなく「説教」されるとは何事!! どうしてKさん! ねえどうして!! Kさんも自分がなぜこんなにも怒られているのかわからず、途中からもうどうでもいいや、と思ったそうである。
Kさんは四十代手前、この界隈、花の未婚組である。
ぼくはまたすっかり萎縮してしまった。もうどうすればいいのかわからない。菩提寺医師からは「オーケン2号になれば」との助言をいただいた。2号ってなんだかヤだなと感じたがそうではなく、聞けばアパレルブランドのエイプを創設したNIGO氏は、タイニー・パンクスの藤原ヒロシ氏に似ているので「藤原ヒロシ2号」との愛称がつき、そこから「2号→NIGO」になったという。これはまったく独自の「2号」だ。そういう存在に、ぼくもなろうか。
ここで、オーケンの重要な悟りをもう一度引用しよう。
“もう、僕は、私は、オレは、これからはキッパリと一人きりで生きていくのである。決めたのである。遺伝子とかデオキシリボ核酸とか、そういった極めて根源的な問題なのであろう。(…)オレはきっと一生涯独身で家庭もなく中年になってジーさんなって老人ホームに入って一生を終えて無縁仏になって誰一人とて墓参りにさえ来ないのだ。そういう運命なのだ。仕方がない。”
好意を寄せられていたタロー子ではなく、快獣ブースカのぬいぐるみを選んだオーケン。“オーケン2号”ことシカミミも、いろんな恋愛事情を見聞きしているうちに、もうブースカしかいないような気がしてきて、原宿にあるというブースカショップに出向いてみた。しかしそこは十四年前に閉店していた。でも心はすでにブースカを引き取ることに決めていた。今のご時世、ネットがある。「ブースカ ぬいぐるみ」と検索して出てきた子を注文することにした。
これが我が家にやってきたブースカ兄妹である。タグをハサミで切り取った瞬間、“もうこの子たちにはぼくしかいない”という親心が芽生えた。時は四月、桜の花舞う入学シーズン。まずはブースカが入学する学校を見せに行った。
校舎を眺め、ふと、自分の小学生の頃を思い出す。一年生だったか、仲の良い女の子がいた。理由はわからないがぼくはその女の子に文字通り追いかけられていて(子供はわけもなくよく走るものだ)、「もりたくん、つっかまえたっ!」と首根っこを押さえられそのまま倒された。彼女はぼくの背中にまたがっている。そのとき、どこかぬくもりのある、えもいわれぬ感覚を味わった。
「もりたくん好きなひといる?」
「うん」
「だあれ?」
「○○ちゃん」(その子の名前)
「……あたしも!」
ぼくは「アハ、アハハハハ!!!」と言いながらどこかへ走っていった。その次になにを言うべきか、なにをするべきか、わからなかったのである。三つ子の魂百まで。その習性、行動は“カフェ無限めぐり”を思い返してもたいして変わっていない。
ブースカをなでなでして初恋を記憶の片隅にしまう。シングルファザー、シカミミは兄妹に児童館の場所も教えておく。すまんね、おいらが甲斐性なしのせいで、君たちを男手一つで育てなくてはならんのだ。仕事が終わったら迎えに行くからさ……。
今日は休日。ブースカを公園に連れて行く。公園デビューである。周囲の目をかいくぐりブースカを遊具に乗せる。おや、こいつら花にも興じておる、ウフフ、そっとしておこう。
公園は子供たちの人生劇場だ。ぼくの場合、住んでいたマンションの駐車場が遊び場となっていた。そのなかで、飛びきり可愛くて、なかなか声をかけられないでいた女の子がいた。その子がいるだけでよくあるベッドタウンのマンションはお姫様の住むシンデレラ城となる。当時、幼稚園児だったぼくは勇気を振り絞ってその子を車の影に呼んだ。
「ねえ…○○ちゃん…」
「なに?」
「ぼ、ぼくと……」
ぼくは顔を真っ赤にして告白した。
「トモダチになってください!!」
……言った、ついに言ってしまったと思った。しかし彼女の返答は実にあっけらかんとしていた。
「なにいってんの、もう友達じゃん!じゃあね!」
その子は元のグループに戻っていった。風がさっと吹き抜けるくらいの、あの一瞬の出来事をよく覚えている。女の子のほうが男の子よりも成長が早いというが、あのときのオレ、あまりにも幼すぎやしないか。その世界は「友達以上恋人未満」などといった区分はなく「友達かそれ以外」で成り立っていたよう。精一杯の契約関係が「友達」だったのだ。他の関係や発展段階があることなど知る由もなく、今もうまく線引きできているかどうか不安になる。
ブースカとの散歩はつづく。途中で雨が降り出したので二人を鞄に詰め込みカフェに入る。コーヒーはまだダメだろうとオレンジジュースを頼む。(もうカフェイン中毒にはさせないし。)するとブースカ兄妹、窓ガラス越しになにかを見つめている……予備校だ! めっ!! 頭が「しおしおのぱー」になってしまうよ! 君たちは世間体や枠組みにとらわれず、自由に生きてほしい。あそこは「改造人間」をつくる工場なんだ。そして都合の良いように操られるリモコンが埋め込まれる。勉強のことなら心配無用。頭に生えている角(ブー冠)を温めると大学教授以上に冴えるようになっているから。
さあ、日も暮れてきたことだし、おうちに帰って寝よう。バラサ、バラサ~。
ブースカを寝かしつかせたぼくは2号として考えた。たしかに安らぎは得られたが、このままでいいのか。オーケンはブースカではなくタロー子を抱くべきだったのではないか。そしてぼくの幼少期の思い出はなんだ。今もきっと動揺したら「アハハハハ!!」と走って逃げるぞ。あいまいな人間関係や、押してくるアイドルには全力で。AKB48などはそのイケイケ・ムンムン系の筆頭だが、たとえばメジャー・デビューシングル《会いたかった》の歌詞はこうなっている。
♪
会いたかった 会いたかった
会いたかった Yes!
会いたかった 会いたかった
会いたかった Yes!
君に…
好きならば 好きだと言おう
誤魔化さず 素直になろう
好きならば 好きだと言おう
胸の内 さらけ出そうよ
わかってる! わかってるってば! でも胸の内さらけ出して「説教」された人もこの世にはいるんだ。ただ勢いに任せればいいってもんじゃない。
それに比べてこちらはどうだろう。先日、元キャンディーズ、田中好子(スーちゃん)のソロアルバム『好子』を手に入れ、表題曲の《会いたかった》を聴いた。ブースカと遊び終えた夜、静かにレコードの針を落とす……。
♪
さわやかな予感する 土旺日の午後に
ぐうぜん思い出 抜け出すように
街角に見つけた あのひとの姿
恋まで行かずに はぐれたひとよ
あなたはどこまでも 変わらないわ
も一度 恋して
も一度 はじまり
ジーンときませんか。これなんです、ぼくの“会いたかった”というものは! 「恋まで行かずにはぐれたひと」……子供の頃からそんな思い出ばかりだよ。「も一度恋して も一度はじまり」……これは“恋の永劫回帰”ですか? ぼくはその輪から抜け出せずもがき苦しみながら今宵もブースカを抱いている。
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