シカミミの絵日記14『北面の竹』
「もう誰も知らないだろうけど」と父は言った。「大山倍達先生は道場生によく“北面の竹”の話をした。寒く、厳しいところで育った山の北面の竹は、尺八にしたときに良い音がする。それに対し、日当たりのよい暖かい気候で育った南面の竹は、そうは音が出ない。これがなにを意味するか、わかるかい? と。」
“一撃必殺”で知られる極真空手。生死を賭けた舞台で尺八の音色とは妙な取り合わせ。野武士のような姿からは想像できない味のある言葉だ。父はぼくの背中に向かって語りつづけた。今は立ち止まるときなのかもしれない、これからさまざまな評価を受けるだろう、それでもコツコツと自分に出来ることをやっていく、そして結果を出せば、みな黙ってしまうんだ。
筆を走らせることが勝負であり、若さであり、それゆえに強さであると信じてきた。しかしそういう「破竹の勢い」に取って代わり「北面の竹」が生じ始めた。例えるなら、高みを目指して一生懸命に走ってきたが、急な斜面に足をとられた。よじ登るか降りるかして一刻も早く落ち着きたい。諦めることは論外で、動く(書く)ことで難局を突破したいものの、下手に動いたら足場(言葉)が崩れる。そのような状況では、また機が熟すまで、その場にとどまることが賢明な選択といえよう。
一撃で相手を仕留める素早さは、この不動の時期に培う心身に求められるのかもしれない。北面に臨めば、寒さだけでなく多くの矛盾にさらされる。戦う生き様について「武士は食わねど高楊枝」とはよく言ったものだが、一方で「腹が減っては戦ができぬ」とも言う。さて、どちらに刀を抜こう?
傷つかなければ気づけない大事なことがある。でもその痛みによって立ち上がれなくなってしまうこともある。夢を追う者、表現を模索する者にとっては、その覚悟が本気であればあるほど、評価を下す他者と自分とのあいだで、期待と絶望を垣間見ながら揺れ動く。さて、どちらに身を寄せよう?
実際は、答えなどなく、刀も感性も矛盾に磨かれ鋭くなり、良い音を奏でる「北面の竹」となっていくのだろう。大山氏も昨日言ったことと、今日言っていることがまるで違うことがあったらしい。(言葉はあくまでコトの端、大山氏は好んで「拈華微笑」の故事――釈迦が蓮の華をひねっただけで、弟子がその意味を悟って微笑したこと――を引いたという。)門下生はその言動に翻弄されながらも、“体得”としか言いようのない、空手の神髄、物事の本質を理解していったそうだ。
矛盾を教え込んだ大山氏は、出来る弟子に嫉妬もしたという。とくに“ケンカ十段”の異名を持ち『空手バカ一代』にも描かれた芦原英幸に対してはそうだった、と父から聞いた。彼のあまたある伝説については巷に出回る書籍に譲るとして、父が体験したこの話にはぼくもぞっとした。若き日の父が、芦原氏の本のサイン会があると知り、会場まで駆けつけてみたところ、彼と目が合った瞬間に、気持ち悪くなったというのだ。あの頑固一徹、現役時代は一度も試合で膝をつかなかったという父が、目だけですくみ上ってしまった。そんな人間がこの世にいたのかと驚くばかり。
大山氏が嫉妬したというのも頷ける。師には矛盾もあり、また完全な存在でもない。ギリシア神話の神々のように神なのに実に人間的な感情をあらわにし、周囲を困惑させることもある。そこで静かに学ぶべきことの一つは、「自分も人、彼も人なり」というごく自然の、でも余裕なき時には忘れがちな条理であろう。これは師弟関係をはじめとし、親子関係やどんな人間関係にも当てはめられる。
そういう師の存在を通し、自らも清濁併せ呑むような度量の大きい人間となること。おそらく、“南面”を快調に走っているだけではこうはなれない。出てくる言葉も綺麗事ばかりで、最後には屁しか出なくなるだろう。「正義なき力は無能なり。力なき正義も無能なり。」と大山氏は言ったとされるが、理想だけでなくこのリアリティを受け止めることに、“北面”で鍛え上げられた強さが感じられる。
仕事の傍ら自らの信じる道を歩む不安、焦燥、孤独は当人しか知りえない。ときに立ち止まることは停滞ではなく勇気であること、動けない場所から見える景色も無駄ではないこと、そう思うことが心の糧となれば。それでも、どうしても自分は何者にもなれない、きっとだめに違いない、そう考えてしまう冷え冷えとした夜が来る。そんなときには、今こそ伸びようとしている「北面の竹」を思い浮かべ、キリキリと痛むその胸の響きを、メキメキと節を増やそうとしている竹の音に重ねてみよう。
シカミミ:2月28日に寄せて 絵:さめ子
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