シカ噺2『狸の就活』
聞くところによりますと、東京では四十数年振りの大雪が降っているそうで、こうも寒い日がつづきますと、朝布団から起きられなかったり、昼間も仕事に身が入らなかったりと辛いものでございます。
しかし思い返せば学生時代は季節に関係なくうつらうつらしていましたな。春は春眠暁を覚えずなんて布団の中でそらんじては眠りこけ、夏は猛暑だと騒いではクーラーの効いた自室で眠りこけ、秋はやっと涼しくなったとまた眠りこけ、結局いつも寝てばかり。授業に出るときはいかにしてばれないように座りながら舟を漕ぐかが勝負どころで、ある者は教科書で顔を隠してまぶたをおろし、またある者は親指と人差し指をこめかみに当てうつむき加減にこっくりと。こんなふうに漕ぎ方もさまざまにありました。
なかには先生に指されたくないばかりに視線を落とし、ロダンの像のように顎を手の甲に乗せてなにやら考えているふりをしている学生もいまして、教室はさながら美術館のよう、どのロダンが本当に眠っていて、どのロダンが狸寝入りしているのかわからない、そんな状況でした。
ところでタヌキといえば、わたくしの生まれ故郷には茂林寺という、あの『分福茶釜』の昔話で有名なお寺さんがありまして、子供のころから茶釜に化けたタヌキの伝説を聞かされて育ちました。色んなものに化けられるタヌキを面白がり、また不思議な出来事があったときは「タヌキのしわざ」だと思って、決して「キツネにつままれた」とは思わない。周囲の環境は言葉を決めてしまうものがあります。
大人になってからですな。私を驚かせたのはタヌキだったかキツネだったかを思い悩むようになったのは。それともう一つ、なぜ彼らは化けられるようになったのかを考えております。暇なんじゃありませんよ、たまたま暇ができて久しぶりに故郷に帰って茂林寺を訪れてみました。するとなにかがささっと目の前を通り過ぎ茂みの奥へ入っていきました。私は足音を消してそうっと近づき、その茂みの前でしゃがみこみ、耳を澄ましました。
タヌキ君「もうやめた!」
タヌキちゃん「またダメだったの? 今度はどこを受けてきたの?」
タヌキ君「いや、会社に行く前にやめた。」
タヌキちゃん「どうして、受からなきゃ私たち結婚できないじゃない。」
タヌキ君「しっぽがかゆくなって引き返した。」
タヌキちゃん「バカ!!」
と大きな鳴き声がしまして、茂みが激しく揺れはじめます。
タヌキ君「イタタタ、わかった、わかったから引っ掻くなよ。もう一度就活行ってくるから。けど……」
タヌキちゃん「けど?」
タヌキ君「……おいら、実は文字が書けないんだ。だから履歴書も持ってない。」
タヌキちゃん「え! あなた人間学校でなにをしてたの!? それじゃ卒業検定の就活なんてできるわけないじゃない!」
なんと、タヌキは就活をしようとしていたのです。つづけて話を聞いていると、どうやらタヌキには一人前のタヌキになるための通過儀礼があるらしく、それは人間に化けて就活し、ばれずに内定をとってみせることなのだそうです。これは人間でも難しい。当然、そこまでうまく化けるには修業を積まなくてはならず、どのタヌキも“人間学校”なるところで勉強しているはずなのですが……。
タヌキ君「寝てた。とくに“書き言葉”の授業はおいらには難しくって。人間の文字は眠りを誘うんだよ。なんだよあのミミズみたいな線。「一」だったら木の葉一枚拾って見せればいいことじゃないか。」
タヌキちゃん「そんなこと言っててもはじまらないでしょう。一人前の化けタヌキになれなきゃ、なにも認められないのよ。本当にやる気あるの? 私のことどうでもいいの?」
タヌキ君「好きだよ。でもタヌキにも向き不向きってものがあるんだ。おいら、しゃべるのはおちゃのこさいさいなんだけど。」
タヌキちゃん「それは知ってる。でも書くことができないのね。」
彼らは黙りこくり、上州のからっ風が茂みにひゅうひゅうと吹き込みます。
タヌキちゃん「わかったわ。私が履歴書を代わりに書いてあげるから、あなたは面接だけには行ってちょうだい。」
タヌキ君「それは助かるな。さっそくこれを埋めてほしいんだ。」
タヌキ君は人間学校で支給されたものらしきコクヨの履歴書を玉袋から取り出し、タヌキちゃんに渡します。
タヌキちゃん「埋めるのはあなたの言葉。私は書くだけ。じゃあまずは名前から。」
タヌキ君「名前?」
タヌキちゃん「名前よ。」
タヌキ君「だーはっはっは!」
タヌキちゃん「なに笑ってるの!」
タヌキ君「おいらに名前なんて! おいら親父から“お前はタヌキだ”としか聞いてないよ。」
タヌキちゃん「みんなそうよ。でも就活の際には一応名前をつけるの。」
タヌキ君「そういう君はどんな名前にしたんだい?」
タヌキちゃん「……ツバサ」
タヌキ君「だーはっはっは! タヌキに翼ね、鳥ならけっこうなことだけど。おいらたち、タヌキだよ。」
タヌキちゃん「就活は印象が大事なのよ! もう勝手につけるからね、「ユヅル」と。」
タヌキ君「なんだいユヅルって。」
タヌキちゃん「今いちばんウケがいい名前よ。その運にあやかりなさい。次は生年月日ね。」
タヌキ君「だーはっはっは! おいら親父から“お前は六匹目だ”としか聞いてないよ。」
タヌキちゃん「なんでもいいからつけるの! そうね、今の就活世代だと昭和は不利だから、平成で適当に記入しておく。次は住所。」
タヌキ君「ああ、それは、ほら、ここの和尚のとこだよ。茶釜のおいらに熱湯注いできたときにはぶちのめしてやろうかと……」
タヌキちゃん「茂林寺前と。余計なことは言わんでよろしい。次は学歴と職歴。」
タヌキ君「人間学校卒業見込み。」
タヌキちゃん「それはこっちの話だから。そうね、以前は赤い門があるところがいいっておじいちゃん言ってたけど、最近はなぜか敬遠されるらしいわ。難しい人たちみたい。そこはやめて印象良さそうなKO大卒にしておきましょう。職歴はなし……」
タヌキ君「いや茶釜として一日、って書いてくれないかな。あれは重労働だった。」
タヌキちゃん「それもこっちの話。賞罰もなし……」
タヌキ君「いや昔貧しい男に恩返しして賞賛を受けたよ。今じゃあいつ、成り上がってロールスロイス乗り回してるらしいんだ。こっちだって茶釜からティファールの最新圧力鍋に……」
タヌキちゃん「はいはい、次は免許。これは自動車はあったほうがいいわ。あと近ごろはTOEICっていうのが流行ってるから良い点数書いておくね。」
タヌキ君「あと茶道一級とか書いてくれないかな。もうそれくらい心得てるよ。」
タヌキちゃん「えーと、次は志望動機。これは大事、どこを受けるの?」
タヌキ君「あんまり考えてなかったけど、大きなところで合格したほうが、卒業後も尊敬されるんだろう。なにに化けてもいいって言うし。いっちばん大きな会社にしておいて。」
タヌキちゃん「あなたが面接でぼろを出さないか心配だけど、たしかにこっちの暮らしにも響くからね。じゃあ、私と同じ総合商社にしておくわ。文章も私が採用されたのとほぼ同じ内容に。あとは……趣味とかある?」
タヌキ君「日向で玉袋を広げて寝ることかな。あれ気持ちいいんだ。」
タヌキちゃん「それじゃアピールにならない。もっと動くもので。」
タヌキ君「散歩。ぼーっとしながら歩くのが好き。」
タヌキちゃん「もっと動くもの!」
タヌキ君「茶道のシャカシャカ。あれ、おいら得意なんだ。和尚の目を盗んでときどきやってる。」
タヌキちゃん「……“ささやかな趣味ですが、晴れた日には散歩し思索にふけり、想像力を広げるひと時を安らぎとし、茶道ではその安寧を心身の精進に向けています”と。」
タヌキ君「ほう、けっこうな趣味ですなあ。」
タヌキちゃん「面接官にそう言われたいものね。あとは、そうそう、顔写真を忘れないように。」
タヌキ君「君はどうしたの?」
タヌキちゃん「上京するときに見かけた駅のポスターの女の子の顔にした。スキーウェア着て雪に寝転んで、とても可愛かったの。」
タヌキ君「ふーん。おいらは誰でもいいや。」
タヌキちゃん「よくない! さっきから言ってるけど印象って大切で、私なんか面接では緊張してあまりうまくしゃべれなかったんだけど、にこにこしてたら“愛嬌があるね”って、それで受かったようなもの。あなたもかっこいい人の顔にしたら受かるんじゃない?」
タヌキ君「わかった、よし、行ってくる。」
とタヌキ君は気合いを入れますと、茂みから出てきて、まだタヌキ顔のまま、スーツを着て茂林寺を去って行きました。これからの話は、二人がめでたく結ばれたあと、タヌキ界の語り草となったものです。
タヌキちゃんの支えもあり、どうにか最終面接までたどり着いたタヌキ君は、タヌキちゃんとは逆にリラックスした様子で、面接室に入りました。
面接官A「……どうぞお掛け下さい。」
面接官B「……え、えーっと、ユヅルさん、ですね……。」
彼が入るなり、面接官が動揺しはじめました。互いの顔を見合っています。その顔にはこう書かれていました。
面接官A「(なぜサングラスなんだ?)」
面接官B「(書類、間違いないですよね、部長?)」
部長「(落ち着け。我が社がここまで通した子に間違いなどない。TOEICも900点越えだ。他の子同様に接すればいい。)」
タヌキ君は、面接前に立ち寄った駅のキヨスクで、とあるスポーツ紙に出ていた音楽家――サングラスをかけた長髪の男――を見て「かっこいい!」と感じ、その音楽家に化けたのでした。そしてタヌキちゃんの言葉を思い出し、イケる、と自信を持ったのです。
面接官A「……こんにちは。よろしくお願いします。」
タヌキ君「……」
タヌキ君は黙っていました。というのも、もう自分が受かったものと安堵し、うとうとしていたのです。
面接官B「弊社への志望動機を教えてください。」
タヌキ君「……」
タヌキ君はもう舟を漕いでいました。大好きな日向ぼっこを夢見て。面接官たちは部長を見やります。
部長「(履歴書にあるように思索にふけっているに違いない。どんな場でも物怖じしない素晴らしい精神力だ。日ごろ茶道をやっているというだけある。)」
面接官は内心「聞いていないんじゃないか」と疑いながらも部長の姿勢に従います。幸か不幸か、タヌキ君の怪しげなサングラスは、その閉じた目を隠してくれていました。
タヌキ君「広げたい……」
面接官は身を乗り出しました。タヌキ君がなにか言おうとしています。しかしこれはまったくの寝言でありまして、慣れないスーツに蒸れた「袋」を広げたがっていたのです。
面接官A「今なんとおっしゃいました?」
タヌキ君「……」
部長「(バカ野郎! 広げたい、と言ったのが聞こえなかったのか! 男には二言はないんだ。しっかりしたまえ。)」
面接官B「では、弊社でなにを広げたいのですか?」
タヌキ君は我慢できずに夢のなかで玉袋を気持ちよく広げてみせました。
面接官A、B「おお……」
そこには勢いよくスーツの上着を両手でばっと広げてみせたタヌキ君が。面接官はまたもや困惑した表情で部長の指示を仰ぎます。部長はついに口を開きました。
部長「貴君の弊社にかける情熱をしっかりと受け止めました。帆船の帆を大きく広げて弊社を力強く前進させたい、その心意気は言葉にならないほどのもの。そうです、どんなに美辞麗句を並べたところで利益を出さなくては意味がない。ただの言葉になんの意味がありましょう。ぜひうちで働いて、実績を築いてください。貴君にこれ以上の問答は無用、以上です。」
タヌキ君は徐々に前傾姿勢になり、頭から倒れそうになったところではっと我に返りました。目の前には同じく頭を深々と下げた三人の姿が。面接官は恭しく自らドアを開け、タヌキ君に退出を促しました。そして後日、丁寧に手紙までもが送られてきて、そこで、タヌキ君は面接の一部始終を知ったのでした。
この話、タヌキ界では大笑い。タヌキ君とタヌキちゃんは幸運に恵まれたカップルとして他のタヌキたちよりも盛大に祝福されました。
このように世の中では「狸の就活」が行われておりまして、会社は良い人材がとれたと早合点してしまいますと、それは捕らぬ狸の皮算用、内定辞退をくらって狐につままれたような顔になりますことでしょう。
絵:さめ子
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