シカミミの絵日記12『青春のグラス一杯目 / 成人の日に』

201401/13

 

 毎年のことだが、今日が成人の日だと気づくと、自分がお酒をはじめて飲んだのはいつだったろうかと必死に思いだそうとするも、その味も情景もまったく忘れていてもどかしい気持ちになり、そうだ、とりあえず一杯やろうと新成人あふれる街へ飲みに出かけている。

 

 お酒の最初の記憶こそ覚えてはいないものの、学生生活を振り返ると思い出の大半はお酒に浸かっており(飲み会、打ち上げ、ゼミ合宿などなど)、青春は輝かしいものというよりいつも発酵している。

 

 そんななかで酔った人を介抱することほど思い出に残り、またやっかいなものはない。ぼくはお酒がそんなに弱いほうではないので、人前で倒れたことは一度もないが(帰宅してからはあるが、そこまで気合いでたどり着くのだ)、目の前で酔いつぶれる者によく遭遇する。とうの本人は翌日にはけろりと忘れているから、酒にまつわる記憶に関しては、この非対称性によってぼくのほうが彼らよりちょっとだけ多く持ち合わせている、ということがある。

 

 K君が倒れたのは大学のゼミ室だった。正確には、ゼミ室にいちばん近いトイレに彼は籠城した。そのときぼくは悩んだ末に所属学部を離れて文学部の哲学コースのとあるゼミに出入りしていて、ゼミ室で開かれた親睦会にも招かれていた。ゼミといっても片手で数えられるくらいの小さな集団で、ぼく以外はまさに内輪といった感じにわいわいグラスを傾けていた。そこには誰が持ってきたか、とてもおいしいワインが一本置いてあり、K君がそれをぐびぐびと飲んでいたのを記憶している。

 

 ちょっとトイレに行ってくるわ、とおぼつかない足取りでK君は部屋を出た。しかし、いつまでも帰ってこない。これはと思い、みんなでトイレに駆けつけてみると、一つだけ施錠されたドアがある。そこに向かってそれぞれ声をかけてみても反応がない。しばらくして「らいじょうぶ、らいじょうぶ」という声が中から聞こえてきたが、明らかに大丈夫ではないとわかったぼくたちは、ドアをよじ登って中に入り、鍵を開けた。K君は真っ白に燃え尽きたジョーのような格好で便器に座っていた。

 

 もうこれはお開きだということになり、二人がかりでK君を支えて一歩一歩、外へ連れて行く。周囲の目をかいくぐって、なんとか二足歩行させる。しかしその甲斐もなく、K君は校門を出る直前で足から崩れ落ちた。守衛の目の前で。立て、立つんだK!と誰もが心のなかで叫んだ。守衛がじりじりと寄ってくる。テンカウントは無情に過ぎ去り、事態は発覚した。

 

 とりあえずぼくたちはK君を体ひとつぶん門の外へ引きずり出し、守衛の管轄外に置いた。その間に事を片づけたかったが、K君の顔は青白くなる一方で、もうこれを世話できるのは病院しかないなとあきらめ、救急車を呼んだ。闇夜にクルクルと回るランプを見て刺激された守衛はもう我慢できんとばかりに詰め寄ってきて、事情を教えろと言う。こちらは「ここは大学外ですから!」と地面を指さしながら突っぱねるも「起きたのは大学内でしょ!」と言い返され、実に無意味な問答をやり取りしているうちに、救急隊員が一言、「誰か救急車に乗ってください!」

 

 よく考えれば当たり前の話だが、運ばれる当人以外に付き添いが必要だと言われる。でもK君を救急車に押し込んで早く帰りたいと思っていたぼくたちは当惑し、それぞれを見やった。まず新入りのぼくが「じゃあ乗りますよ」と言ってみて、みなの反応をうかがった。「いやオレが」「いやいやオレが」という展開を期待していたが「じゃあ……」ということになり、ぼくは救急車に乗った。

 

 K君は車内でも「らいじょうぶ、らいじょうぶ」を繰り返していて、状況を把握していない。代わりにぼくが隊員から「なにを飲んだの?」と質問を受け「ワインです」と答える。つづけて「それおいしかったでしょ?」と聞かれて、意図もわからずに頷く。すると隊員はおいしいワインは飲みやすいから気づかぬうちに飲み過ぎてしまうんだよねと伝えてくれた。すみません、すみませんとひたすら謝るぼくの隣でK君は息を吹き返したように声を上げた。「オレの実存が!!オレの実存が!!!」

 

 「え、なに?」と聞き返す隊員にK君は「実存が!」を連呼する。ぼくはどうしようもなくクククと笑いをこらえていた。

 

 中島らものエッセイ『酒の正体』にはこんな文章がある。

 

“酒には人格がない。人によってはアルコールのことを性悪女のように言う者もおり、無二の親友のように言う者もいるけれど、もちろんのことに酒そのものには人格はない。それらはすべて自分の中に棲みついている性悪女であり親友であり、酒というものはそれら自分の中の他者と対話するための「言葉」のようなものだろう。”

 

 K君の中に棲みついていたのは「哲学」だったのだろう。無意識に発せられた言葉にあきれながらも、妙に感心したものだった。(後日そのことを知らせると、彼はまったく覚えていないと首をかしげていた。)

 

 病院についてからK君は点滴などの処置を受けてベッドに寝かされた。一時間も経つと顔に血の気が戻り、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。ぼくは窓枠にもたれかかり、彼の寝息と、病室の外を静かに流れる神田川の音を聞きながら、漠然とこの先どうやって生きようかと自らに問いかけていた。

 

 夜明け近くにK君はパチっと目を覚まし、何事もなかったかのように伸びをした。ぼくは落ちくぼんだ目で彼を見つめ、経緯を話した。でも、もうそんなことはどうでもよくなり、両親が故郷から彼を迎えに来るまでの間、手持ちぶさたなぼくらは、自然と、互いになぜ哲学に惹かれていったか、そこでなにを探そうとしているのかなどを熱く語り合っていた。

 

 出来事もその後の会話も、思えば気恥ずかしいくらいの若さがもたらしたものだった。もし同じことが起きても、あのほろ苦いけど甘酸っぱい、それこそ美酒のように滴る明け方の時間は、このさき二度と生まれはしないだろう。それは大人として歩き出したがまだ行き先がわからないような青春の時期に出会える、発酵中の味である。

 

 この件をきっかけにぼくはゼミに馴染むことができ、大学で居場所を見つけ、仲間とともに言葉を求める旅を卒業までしてゆくことになる。友人関係と自らの言葉が育ちはじめたこの日を、お酒との出会いの日としておこう。

 

酒の精

 

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