『時代おくれが迎えた朝 / 父へ』

201312/17

 

 シカミミの父が注目を浴びている。街角でスナップを撮られ、モデルとして紹介されたのだ。

http://wear-loop.com/streetsnap-no.php?id=16

 オシャレに着こなすその姿に、「かっこいい」「素敵」「息子も見習え」などと様々な声が寄せられた。ぼくだって驚いている。今までにこんな父は見たこともなかった。

 

 堅物、無口、屈強。ぼくが見てきた父の背中はそう語っていた。真面目に勤め上げ、弱音は吐かず、「男は黙ってサッポロビール」を地で行くような存在で、遊びなどしなかったように思う。

 

 そういえば息子との遊びも一風変わっていた。

 

 ある日、父は小学生の息子を車に乗せ、近くの河原に向かった。ぼくは大喜びだ。単身赴任の父とたまに会える休日、仕事の疲れがあるにもかかわらず、外で遊んでくれる。ぼくはカラーボールやフリスビーなんかをバッグに詰めて、車内ではしゃいでいた。

 

 車から降りると、父はぼくの背中に一本のタオルをぐいと通した。それからなぜか準備体操がはじまり、いくぞ、とぼくの両足を脇に挟んだ。すると自然と両手で地面を突くかっこうになる。父は前進し、息子はその姿勢で腕を右へ、左へと交互に出し、河原を這った。その名も「手押し車」という。腕を鍛えるにはいいトレーンニングだ。だが、ぼくはトレーニングをしにきたわけじゃない。しかし父は手を緩めない。ぼくは顔から地面に衝突しないように必死で踏ん張った。汗だくになって多くのメニューをこなすと、父が背中のタオルをすっと抜く。汗はタオルに吸収され、シャツはべたつかない。その爽快感だけはよく覚えている。

 

 子供が手を伸ばす先にあった本は『巨人の星』や『空手バカ一代』だった。思い返すと逃げ場がない。道は逸れたが、ぐれなかったのが不思議だ。父は星一徹のようで、若き武道家のようだった。

 

 そして実際に、父は極真空手に入門し、その始祖である大山倍達に師事していた。大山氏が牛を素手で殺せてしまう人物であることは『空手バカ一代』を読んで知っていた。またその門下生がやはり素手で熊を倒したということも聞かされてきた。なにか動物に怨みでもあるのかと突っ込みたくもなるが、そんな冗談も言えないくらい恐ろしいのが極真空手。父は「なにも失うものがない人間が行き着くところ」と過去を振り返る。きっといろんなことがあって入門したのだろう。

 

 幼い頃、好奇心で家にあるビデオを片っ端から見ていたら、そこに道着姿の父が映った。彼は「押忍」と気合を入れ、太い樹氷を何本も重ねたものを、手刀でズバババと割って崩し落とした。そのときこれは今後反抗してはいけない相手だと自覚した。ぼくが野球部に入って木製のバットを手に入れたときも、父は「回し蹴りで折れる」と言い、ああ、見方が違うなと思ったものだ。

 

 でも豪快な人かといえばそうでもない。父は(空手をやめてからは特に)細かな作業に没頭することがある。プラモデルは塗装に凝ってかなり精巧につくる。本格靴磨きには余念がない。また父から聞いた話だが、現・極真会館の松井章圭館長も、かつて父が現役でともに稽古していたときは時計が好きだったという。(ちなみに父の趣味の一つも機械式時計である。)これは面白い。“一撃必殺”を掲げる極真空手と、小さな部品が組み合う精密機械への愛着。そこには共通するメンタリティがあるのかもしれない。たとえば、ただの力技には収まらない精神、肉体の繊細さであったり、一瞬で決まる組手における複雑で精緻な時間の流れだったりと。

 

 息子を手押し車にする父も、ただ強くなれと教えていたわけではなかった。いつも「強くて賢くて優しくて、漢のなかの漢になれ」と言っていた。そう、賢さと、優しさがなければ、それは本当の強さではない。ぼくのルーツのような言葉だが、それをいいことにぼくはいつしかトレーニングを放棄した。星飛雄馬にはなりたくない。厚い胸板などいらないから、賢くて優しい大人になろうと決めた。

 

 よく聞く意見、父の目が据わっていて、やけに体格が良いのは、以上の経歴による。その後父は母と出会ったり会社に勤めたりして「失うもの」が徐々にできてきて、極真からは遠ざかった。家庭を持ち、会社では押し寄せる不条理と闘い、日々を生きている。おそらく自らを想う余裕もなく、幸せかどうかなど感じる間もなく精一杯に。物置きの奥でほこりをかぶっているベンチプレスなど見れば、ありえたはずの人生に目をつむらざるをえない。長い間、そんなふうに過ごしてきたのではないか。なにより今を生きることが大事だという価値観を持つぼくとは、しばしば言い争いになった。

 

 そんな父が昔からよく歌っていたのは、河島英五の《時代おくれ》だった。

 

“目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心をみつめつづける
時代おくれの男になりたい“

 

 

 ぼくの父のみならず、多くの「男」なるものがひそかに共感を寄せるこの歌詞。良い歌だ。父の人生そのもののような気がする。しかしながら、あの日スナップを撮られた父はやはり嬉しそうで、五十を過ぎてようやくなにか認められたようだと語っていた。

 

 時代に追いついたっていいじゃないか。あるいは追い越したって。それでも強く、賢く、優しくあれば、人の心を見つめ続けることができるだろう。それに父は“似合っている”のだから、目立つ場であっても、心が喜ぶほうへ、そのまま進んでいってほしい。昔の夢はかたちを変えて今の自分のために現れている。そう思うのであれば、人生はいつも夢のつづきで、乗り遅れることなどない。必要なのは、目の前に止まった汽車に飛び乗る勇気だ。

 

 「父」である前に、「男」である前に、一人の「わたし」でいたい。そのような「わたし」たちが、親子関係を離れて、それで身を立てた個人同士として付き合う。これほど素敵な関係はないだろう。

 

 誕生日の朝、次の写真撮影に向かう父の背中を見送って、ぼくはその日の道を歩きだした。

 

父の撮影現場

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