第12回別冊スクラップブック『七夕のホームラン、そして今 / バレンティンを観に行った』
ホームランは夢を見させてくれる。高く舞い上がった白球が、歓声とともに放物線を描き、スタンドのなかへと吸い込まれていく。この一瞬の出来事のあいだ、人々はたとえ辛さや悲しさを抱えていても空を見上げている。考えてみれば、素敵な光景だ。
バレンティンが50号を打った、その知らせを聞いて、ぼくは神宮球場に駆けつけた。日本記録であるシーズン55本塁打は何十年という時を経ても塗り替えられていない。今までに何人かの選手が55号に到達するも、敬遠や残りわずかな試合数の関係で、あと一本が出なかった。だが今年になってその壁を打ち破る可能性がにわかに持ち上がってきた。ヤクルトスワローズのバレンティン選手、三十試合以上残した8月末の時点で、50本の大台を突破。歴史的な瞬間、大きな大きな夢の進行を、この目で見届けたいと思った。
先日までの過ごしやすい陽気とは打って変わって、残暑に見舞われたその日。信濃町の駅から神宮球場に向かうまでにすでに汗だくになっており、自由席の適当な席を見つけたらすぐさま、お姉さん、ビールください!の一声。重そうなビールサーバーを背負った売り子さんも汗をかきながら、でも爽やかにコップにビールをなみなみと注いでくれる。ありがとうございます、とお礼を言って、一気に飲み干す。うまい。
のどを潤し落ち着いてグラウンドを見やれば、選手たちは試合前の練習をしているところ。しばらく夕陽に照らされた球場を眺め、コップ片手にぼんやりしていると、いまこうしている自分の姿を不思議に感じ、少し笑みがこぼれた。子供のころ、プロ野球に足を運ぶといえば、それはそれは一大イベントなのであった。
小学校中学年だったか、高学年だったか忘れてしまったが(たぶん五年生だったと思う)、読売新聞が提供する野球観戦チケットが抽選かなにかで当たって、家族そろって巨人戦を観に行ったことがある。群馬から観光バスに乗って、東京ドームまで移動した。これまでテレビやラジオ(試合の途中でテレビ中継が終わるとラジオにかじりついて経過を見守っていた)でしか触れたことのなかったプロ野球に出会える。野球少年にとっては(十年くらいの)人生でいちばんの興奮、喜び、感動だった。松井が見られる、仁志も、高橋由も…。
ビールをもう一杯頼む。陽は傾きナイターの風情をみせはじめ、選手紹介やファンサービス――マスコットのつば九郎がTシャツをバズーカに詰めて客席に飛ばすなど。一発場外に放った――で騒がしくなる。仕事帰りの人もぞろぞろと集まってきて、球場は活気づく。
さあ、拝見、バレンティン、と意気込んでいたところ、ぼくの前の席に二人が座った。自分の語彙が乏しいせいかもしれないが、それがもう、「美男美女」としか形容できないカップルであって、試合開始後もなにかにつけて目を奪われた。
観察していると、この二人はまったく会話というものをせずに、座っている。ぼくと同じようにビールを飲んで。夕食時でもあるのでお弁当を膝に乗せ、これも黙々と食べる。おつまみにこしらえてきた和え物なんかも取り出し、無言でつつく。仲睦まじいというか、これはきっと「阿吽の呼吸」に近い。
試合が動いた。バレンティンが打席に立つ前に、三番バッターがホームランを放った。ぼくの目の前に二本の傘がぱっと咲いた。スワローズおなじみの「応援傘」である。さきほどまで「暑いね」とか「きょうは勝つかな」とか一言も交わさなかったカップルが、どこにしのばせていたのか、同時に傘をさした。その後も得点が入るたびに二人の傘は開き、「無言」、「得点」、「傘がぱっ」の一貫したコミュニケーションがとり行われるのを目の当たりにした。なんだかほっこりした。
二人の行為にじんわりと思い出が温まってきた。はじめて観に行ったプロ野球、嬉しくて、言葉なんていらなくて、ただ試合に熱中していた。覚えているのは、それが7月7日の七夕で、長嶋監督がグラウンドに歩み出てきて、審判に「代打、清原」を言い渡したこと。ドーム全体がどよめいた。
清原和博。当時、この選手の名前を聞いて思い浮かべることといえば、打てない、走れない、守れないの“負の三拍子”だった。野球ゲーム(パワプロ)でも清原はまったく使えず、友人との試合に負けては、幼心にも「西武に帰れ!」と思っていた。
実際、巨人移籍後の清原は成績不振のため応援団からの“応援拒否”にあったともいう。ぼくらが観戦しにいったときも清原は二軍にいて長らく公式戦に出ていなかった。つまり、長嶋監督は偶然にも「清原復帰の場」に立ち会わせてくれたことになる。ぼくは目を丸くして、遠くから、清原を眺めていた。
バレンティンは予想通り、フォアボールで歩かされた。それが二打席つづいた。スタンドからはヤジが飛ぶ。前のカップルは静かにその様子を見つめていた。
ネクストバッターズサークルに清原が姿をあらわす。東京ドームが拍手で湧き起こる。あのどっしりとした構えが目に映ったとき、ぼくは堰を切ったように「キヨハラー!キヨハラー!!」と叫んでいた。やっぱりぼくは「四番清原」に憧れていたし、あの「神主打法」を真似したし、どんなに打てなくてもその存在は少年の心を夢で満たしていたし、テレビの画面越しにブーイングはしていたけれども、それは愛憎というやつであって、とにもかくも好きだったのだ。そんな気持ちが、一気にあふれだした。
何球目だったろうか。清原はぐいと力強く振り抜いた。打球はぼくらが居るほうへ、どんどん、どんどん近づいてきた。「入れ、入れ、入れ!!!」と願った。多くのファンの想いに後押しされたかのように、ボールはフェンスぎりぎりを乗り越えていった。
バレンティンの打球がレフト方向に飛んだとき、あのときと同じ気持ちで「入れー!入れー!!」と立ち上がって声を上げた。この一日を、何日も待ち望んで来た子供たちがこの場にいるかもしれない。最下位だって空には夢がある。ぼくの席からはバックスクリーンに隠れて途中で打球を追えなくなった。その代わり、視界にカップルの傘がぱっと入った。
バレンティン、第52号ホームラン。
ビールをまた一杯追加。売り子のお姉さんは「花火、見えましたか?」と尋ねてきた。見えました、と答えると「夏ももう終わりですね」と言い、神宮球場の打ち上げ花火はあと二日であることを伝えてくれた。
バレンティンは近いうちに新記録を達成するだろう。一本一本のホームランの数だけ空に夢が散らばり、それはときとして、ずっと胸に残りつづける夢のかけらとなる。夏は終わっても、そういった輝きは失せることはない。
※追記
このエッセイを書いた折、奇しくも村上春樹さんがスワローズのファンクラブの名誉会員になったというニュースが入り、サイトに『球場に行って、ホーム・チームを応援しよう』というメッセージが寄稿されました。
http://www.yakult-swallows.co.jp/swallowscrew/honorarymember_murakami.html
ぜひ球場に足を運んでみてください!そして大きなホームランを目に出来たなら…。
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