引用日記まとめ15(贈与について)

201009/21

引用日記のテーマ「贈与」2010年9月21日

 

労働から贈与の問題系になってきた。人類史を長く支えてきた贈与の力。柄谷行人氏は雑誌『世界』のなかで、日本の武装解除は世界への「贈与」として機能するだろうと述べていた。日本が国連に軍隊を預けた、さあみんなで日本へ攻め込もう、なんて展開はまずない。日本の贈与は各国の負い目となり、彼らの行動を縛りつける。それをはねのけるには、己もまた贈与で返礼するしかない。

 

あるひとつの国の贈与が、各国の贈与の連鎖を生み、やがては「世界共和国」へと発展していく。従来のパワーバランスによる勢力均衡は交換原理に根ざしている。しかし人類が持つもう一つの原理、“贈与の交換”に着目することで、安定状態を築くことも可能なはずだ。
日本は憲法の後ろ盾もあり、「贈与革命」の先陣を切るのにもっとも適している国だ。これはまた、元気のない日本にとって起死回生のチャンスである。他国の反日感情を煽って自国の愛国心を根づかせるなんてことをせずに、日本発の平和革命をやってのけたほうが、自国に誇りをもつ人が増えるだろう。

 

ここで改めて贈与の原理を振り返ってみたい。贈与は人と人とを結びつける。例えばぼくが友人に煙草を一本あげる。お返しに、彼はぼくに煙草を一本くれる。結局、一本失い、一本もらうのだから、交換の上では何も起きていない。しかし実際には、煙草の贈り合いによって、コミュニケーションが生まれている。その交換が両者の間に絆をつくる。

 

もう一つ例をあげる。飲み会の席において、二人が同じビールを持っているとして、片方が「ビールいかがですか」なんて言いながら相手のグラスに注いでやる。もらった方は「さあさ、あなたも」とビールを注ぎ返す。これは「使用価値が等しいものの交換」だ。手酌でいいのに、わざわざ「贈り合う」。

 

日常でよく見かけるこの光景も、交換によって強められる絆があることを示している。等価なのに交換するのは、ひとえに、交流するため。つまり贈与はコミュニケーションを促進する。

 

交換原理の合理性のみに目をつけていると、プレゼントに現金を渡したりしてしまう。「現金あげるから、好きなもの買ってね。効率的でしょ。」というロジックだが、贈り物の本質は物の使用価値にあるのではない。贈り物に宿る愛情、喜び、信頼などの「贈与の霊」が、人格同士を結合させる。これが本質だ。

 

ちなみに貨幣は人と人との関係を断ち切る力がある。親しい間柄のなかに、お金が出てくることは少ない。家庭内で商品交換している家はあるだろうか。また好きな人には「これあげるよ」と快く言えるだろう。お金が顔を出してくるのは、人格的な関わりのない人に対してである。

 

贈与は結びつけ、貨幣は切り離す。僕たちは無意識にもこのことを知っている。資本主義社会が労働者の「贈与(搾取)」によって成り立っているのに、人々の間に絆が生まれないのは、それが貨幣で回っているからである。その血液を取りかえるべく奮闘してきた人々、それをコミュニストという。

 

ある人々は「貨幣の廃止」を掲げ、またある人々は「代替通貨(オルタナティブ通貨)」を資本(貨幣)への対抗手段とした。現実性がよりあるのは、後者である。一部の商店街では地域活性化のために地域通貨を発行している。地域通貨は、コミュニティを維持する交換手段として近年注目されている。

 

オルタナティブ通貨の話題になったところで、次の引用日記のテーマを「オルタナティブ社会」にしたいと思います。贈与、貨幣、コミュニティなどのキーワードは、すべて新しい社会の構想に関わってきます。