贈与で読む『ノルウェイの森』(期間限定公開)

201010/03

テーマ「贈与」2010年10月3日

 

 「ノルウェイの森」を一言で表すなら、それは「愛が誤配される森」だ。主人公である「僕」は、直子を正しい宛先に届け直さなくてはならなかった。キズキが待つ、死者の国へ。

 

 なぜそんな、悲しくて重い義務が発生してしまったかというと、「僕」がキズキの死の贈与を受けとってしまったからだ。贈与には返礼をもって贈り返さないと、負い目が残る。「僕」は無意識にも負い目をなくすために行動しており、自然と緑に惹かれていくのも、直子を贈り返そうとするがためだ。

 

 死んだ者には贈り返すことができない。受け手には負い目だけが一生残る。だから死者の贈与が一番きつい。この困難な問題は文学者のテーマになる。夏目漱石『こころ』の「先生」は、K君の死の贈与によって、お嬢さんを手に入れた。「ノルウェイの森」と違って、先生が自殺することで、返礼は果たされた。

 

 森のなかで愛が誤配され、静かに正されていく過程は、本当に切ない。本人は彼女を深く愛していると信じている。しかし、何かが違うことも感じている。この愛の宛先に気づき始めている。その真実を覆い隠すように嵐のような激しさ(性)が現われる。なんて悲しいセックスだろう。真実はより鮮明になる。

 

 直子が「あの時なんで私とセックスしたの」と問い詰める場面がある。あれこそまさにキズキの贈与を受け入れたことを示す行為で、「僕」が配達人になった日だ。正しい宛先に届ける役目を負った「僕」も苦しいが、直子もその姿に傷つかずにはいられない。だから責める。どうして贈与を受けとったのと……。

 

 『こころ』の「先生」にはお嬢さんを大事にしてあげなよと言いたくなり、『ノルウェイの森』の「僕」には緑がいるじゃないかと諭したくなるが、それぞれK君とキズキの死の贈与の返礼に苦しんでいて、うまく立ち回れない。「僕」の場合、うまく立ち回ることの帰結は直子の死だ。これは混乱せざるをえない。

 

 「愛が誤配される森」において、愛の怖さ、悲しさ、優しさが見えてくる。そのような意味で「ノルウェイの森」は帯にあったように「100%の恋愛小説」なのだ。恋人が病気で死ぬというプロットでは、50%くらいにとどまるだろう。「誤配」というどうしようもない状況に置かれてこそ、愛は100%の顔をさらす。