引用日記まとめ5(河合隼雄part2)

201008/15

引用日記のテーマ「死」2010年8月15日

 

前回、河合隼雄さんを取りあげた流れで、今日は河合隼雄さんと茂木健一郎さんの対談本から引用してみる。河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』、潮出版社より。

 

茂木「脳科学では、ここ十年ぐらいで、「質感」というものが大きなテーマになってきたのですけれど、河合先生のご専門のユングなどの立場からすると、どうなんですか。もう、とっくにそんなものあるだろうという感じですか。」p.12

 

河合「(…)私が考えたのは、僕のは、近代科学とは違う手法でやっている、と。近代科学とどこが違うかというと、「関係性」ということと、「生命現象」、そのふたつがあるというふうに思ったわけですね。」p.14

 

河合「近代科学は、ご存じのように、関係性を絶って、客観的に研究をする。しかし、われわれのほうは関係性がなかったら、絶対、話にならない。だから、その関係性のあり方をすごく大事にしていく。」p.14

 

河合「それから生命現象というものは、物理の力学のように、これだけ質量があって、位置がこうで、というふうに定義できないんですね。また物理は、目で見えていること以外のことを絶対扱わない。しかも、ほかにどんな可能性があるか、それにも気がつこうとしない。」p.14

 

河合「そういう点で見ると、『クオリア(感覚質)』というものも、関係性を生じるところで出てくるものなんですね。それから、生命現象にとくに出てくることなんですね。」p.15

 

臨床心理学にかかわらす、これからの学問は「関係性」を無視できなくなるだろう。近代の科学主義は「ラジオを分解して、音楽はどこへ消えたのかと訝しるよう」と揶揄される。「音楽」を研究の対象とする科学、部分に還元できない現象を論じること、それがすなわちクオリアだ。

 

そして、一般的な科学からは非科学的と見られるであろう「箱庭療法」は、このような感じ。(河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』、潮出版社より)

 

茂木「僕はそのころ、どっちかというと内向的というか、知らない人としゃべることがあまりできなくて。あるとき、箱庭で、村でお祭りをやっていて、山にサルが一匹いて、木の上からそのお祭りを見ている、というのをつくったんですよ。」p.19

 

河合「ほほ~。おもしろいねぇ。」p.19

 

茂木「どういうことか、と聞かれたので、『僕はこのサルで、そのお祭りのなかにまでは行きたくないんだけど、でも一人で、こうやって楽しそうな様子を見ているのが好きなんだ』というようなことをいって。ちょうど、そのころの心象風景だったんですね。」p.20

 

河合「その祭りを見ているサルですね。それは、客観的に祭りを観察している自分というのと、それから、サルで典型的なのは孫悟空ですね。将来、大活躍する可能性とか、あるいは仏道に入っていくような宗教性や精神性とか、そういうものを全部もっている存在としてそこにいるんですよ。」p.20

 

茂木健一郎さんは、箱庭に表された通り、「(将来)大活躍」している。箱庭は占いではないから、その事実を強調しても意味はない。強調されるべきは、誰もが心のうちに持っている「イメージの力」である。それに耳を傾けることが、人生をうまく生きるコツなのかもしれない。

 

茂木「僕のイギリスの夢は、旅行していて、バスのなかに小さな五~六歳の女の子が乗っていて、その女の子は赤い服を着ているんですが、それが誰なのか、わからないんです。これが困るんですよ。それはだから、きっと盲点なんですね。」p.28

 

河合「そうですね。それと、課題といってもいいです、これからの。」p.29

 

茂木「課題?五~六歳の女の子が、ですか。」p.29

 

河合「そうそう。自分のなかに、赤い服を着た女の子がいる、しかも五~六歳であると。そうすると、ひとつの考え方は、この五~六年のあいだに、自分の心のなかにできてきたものは何かと考えてみる。」p.29

 

茂木「ああ、そういう考え方をするんですか。」p.29

 

河合「そうそう。この五~六年で、それが育ってきているわけですよ。そして、その女の子を育てていかないといかんわけですからね。育てていくためにはどうしたらいいかとか。僕はしょっちゅうそういうことを考えてるから、人生を二倍楽しんでる、というてるんだけど(笑)。」p.29

 

河合「夢を見るということ自体が、ものすごい大事なことなんですね。それは解釈しなくてもええぐらいなんだけれど、解釈したほうがおもしろいと。(…)夢をつぶしたら、だんだんおかしくなってきますね。だから、夢というものは、生きていくために必要なものだと僕は思っているわけです」p.26

 

夢とつき合うことで、人生を二倍楽しめる。素敵な発想だと思う。科学的思考という枠にとらわれず、思想の幅を少し広げてやるだけで、生死の意味がぐっと深くなる。目覚めている自分と眠りに落ちている自分。二人の自分がこの「私」を支えているのだと考えれば、心強く生きられそうだ。