シカミミの絵日記4『1988年に生まれて』

201209/17

 

絵日記4『1988年に生まれて』

 

絵日記23では、ぼくの生まれ育った「場所」について、母方、父方ともに振り返ってみたが、今回は生まれた「時」である1988年という年について思いを馳せてみたい。ちなみにこの日記に絵をつけてくれている倉持さめ子さんも1988年生まれであり、同世代が思わずにやりとしてしまうようなアイテムを描いてくれたら幸いである。(小学校のころ手にした「たまごっち」とかね!)

 

ある年を顧みる際に目印となるものは、政治、経済、文化など様々にあるが、ぼくらの世代が討論番組に出ると決まって「物心つく前にはバブルは終わっていた」と苦い顔して言わされる立場に置かれる。

 

番組のナレーションは華やかなりし東京の夜を映したあとに、ズーンと下落する何かのグラフと、それにオーバーラップするように山一證券の破綻の画など見せて、そのまま2008年のリーマンショックまで飛んでいき、リクルートスーツを着てうつむく学生の背中をぼくらの顔につなげ、はい、トークスタート。

 

ズーン!

 

こんなふうに、ぼくらの世代を暗い話だけにおさめたくはない。もちろん、経済の自壊はぼくらの人生選択に多大に影響を与えているが(そしてぼくは「就活ぶっこわせデモ」など実行したわけだが)、物心ついてもつかなくてもこういう局面は人生のどこかで訪れたはずで、むしろそういう不安定な足場から眺めても楽しかったこと、面白かったことを大事にしていきたい。

 

たとえば、幸いにも“物心ついた”90年代中葉に迎えたJ-POPの黄金時代。時代の曲と自分の記憶はよく結びついて思い出になるものだが、成長期に親しみやすく明るい黄金期のメロディを聴いて過ごしたことは、ぼくの思い出の奥底で今も無条件な明るさを灯してくれている。

 

誰もが自分の時代の曲が一番だと信じ、すべては「昔はよかった」の語りに過ぎないと思われるかもしれないが、少なくともCDのミリオンセラーが続出し飛ぶように売れていたのは、後にも先にもこの時代しかなかったことに異論はないだろう。そして、売れるものにはそれなりに人々を惹きつける良さがあったのだと思う。

 

不思議なもので、音楽に熱中し、小室哲也に憧れプロデューサーを目指していたようなひと時は、突然、終わりを告げる。周りに聞いても、中学・高校時代にみな狂ったようにロックやJ-POPにのめり込むものの、その熱はどこかを境に突然引いてしまう。残されるのはその熱狂の痕跡で、ぼくの場合は自ら選曲したカセットの背表紙に書かれた「with M」という文字。いつも??と思うのだが、思い返せば当時、小室哲也がプロデュースするユニットやグループに、自身の頭文字であるTをつけていたのに倣った行動であった。

 

ぼくが今熱を注いでいる対象は、映画である。だから生まれた年で見たい指標といえば、どんな映画が注目を集めていたか。わかりやすく米国アカデミー賞をみると、昭和63年には(ぼくらは最後の「昭和」生まれだった)、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』が作品賞を受賞している。一方で国内に目を向けると、今や子供アニメの古典となった宮崎駿監督『となりのトトロ』もこの年に公開され、キネマ旬報の第一位を獲得している。(高畑勲監督『火垂るの墓』と同時公開)

 

トトロにあてた糸井重里のキャッチコピー、「このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。」は、昭和という年号を背負ったぼくら88年生まれの世代にそのまま捧げたい。

 

最後に、その同胞である88年生まれの著名人を調べてみる。彼ら・彼女らは、2012年の今年24歳を迎える者たちだが、ロンドンオリンピックで活躍している面々を見ると、ほぼその年齢かあるいは年下であり、ぼくは嬉しく思うとともに、半ば、焦った。昭和63年の仲間はもう社会の前面に立って戦える年なのだ。

 

その焦りに拍車をかけるのは、生年月日がぼくとまったく一緒のある存在。プロ野球、読売巨人軍の坂本勇人選手だ。ぼくら、1988年12月14日生まれ。ぼくがある時から占いを信じなくなったのは、坂本選手の存在を知ったからであり、つまり片や一億円プレーヤー、片や住所特定無職という歴然の差が、占星術の同じ結果から導かれるからである。

 

しかし、どんな状況であれ(どんな差異があれ)、生きているとどこかで笑いや優しさがこみあげてくる瞬間があり、それを大事に忘れなければ、人は前に進んで行ける。だから「物心つく前にすべては終わっていた言説」だけは、どうしても受け入れられない。なるほど、確かに終わっているかもしれない。だけど、終わっているからこそぼくらは身を賭して何かを始められる。すべては、そういうことだと思う。

 

※さめ子さんは冒頭のぼくの振りに対し見事「バトエン」の絵をもって返してくれた。バトル鉛筆…これは“にやり”とせざるえない。