フェミ研雑誌への短い寄稿

201210/16
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ぼくが学生時代に所属しており、現在も交流がある「早大フェミニズム/ジェンダー研究会(@sodai_femiken )」が、サークル初の雑誌を制作している。11月に発行予定だそうだが、その中に「フェミニズムを学ぶ人のための本棚」という企画があり、学ぶ上で役に立った文献についての短い書評を依頼された。読者案内のための、本当に短い短い原稿だが、この場所にも掲載する。

 

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学びは驚きと感動から始まる。なぜだろう、どうしてだろうという当事者の問いが、言葉の導きによって対象化され、自分という主体(理論的言語)を手に入れる。一方で、直観的に自らの住まう世界を開示し、いつまでも心の奥底で瑞々しく震えているような言葉(詩的言語)もある。この本棚にもそんな“震え”を残すべく、一冊の詩集、茨城のり子『おんなのことば』をそっと挟んでおきたい。

 

フェミニズムを「心」に託して案内するには、詩人や詩集について説明するよりも、一編の詩そのものに触れる方がいちばん良いと思われる。ここでは、『おんなのことば』に収録されている「一人は賑やか」という詩を紹介したい。

 

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

 

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

 

一人でいるのは賑やかだ
誓って負け惜しみなんかじゃない

 

一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな

 

恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ

 

茨木のり子「一人は賑やか」

 

昨今「おひとりさま」という言葉が流行り語感だけは社会に定着したようだが、この詩は一読すればわかるようにまず「一人」の豊かさを歌ったものだ。面白いのは、「毒の茸」や「荒れっちまう夜」さえも「一人」を賑わす大事な木々であり、決して否定されるべきものではない。
 
 

ここには孤独ではなく突き抜けた解放感があり、敷衍すれば「一人」のなかには男も女もクィア的なるものも賑やかな森となって息をしているといえる。人間とは本来このような「賑やかな存在」であり、この内なる宇宙を自覚し肯定することはフェミニズムの地平から眺められる世界に重なる。逆に捉えればフェミニズムは単に「女が見つめる学問」と括られるものではなく、「人間を見つめる学問」と認識しなくてはその本質がつかめず、賑やかな森を切り倒すジェンダーの刃やその結果の「堕落」した社会に批判の眼差しを向けているのだ。

 

詩の最後で「君」と呼びかけられている存在は、来るべき私たちのことかもしれない。 “おんなのことば”は淋しさで固まった時代の精神を解きほぐし、「一人でいるとき、一番賑やかなヤツ」になるための豊かな道を、私たちのために照らしている。