ゆとり世代覚え書き2(キャンパスライフとその症状)

201207/19
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ゆとり世代覚え書き」では、就活から脱就活への背景とその道筋を提示したが、「実際今の大学生はどのように暮らしているのか?」という声がおもに上の世代からあった。そこで今回は、もっと近い距離でゆとり世代の学生像に迫り、そこから生まれている現代の回路(=症状)を示したい。

 

さて、今の学生生活がどんなものであるかを知るために、2012年に生きるA君(大学3年生)のキャンパスライフをのぞいてみよう。

 

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A君の朝は早い。9時に始まる1限の授業に出席するため、夜勤明けの眠い目をこすりながら満員電車に乗る。一年で100万円を超える学費を支払うために自分も週4で働きに出ている。昼間は大学があるので、バイトのシフトは当然夜間だ。親の勤める会社は長引く不況の煽りを受けて残業禁止となり、残業代に頼っていた暮らしが立ち行かなくなっている。決して貧しいという家庭ではなかったのだが、今や学費を親任せにはしてられない。奨学金を借りようとも思ったが、その内実は学生ローンで、進路もままならないのに借金だけ背負って卒業するのはなんだか恐ろしくて手が出せない。4年間で240万円を借りた先輩は利子を加えて300万円をこれから返済していくという。それができないとなんとブラックリストに載ってしまうらしい。やっぱり自分は働いてなんとかしなきゃと思いつつ、教室に入る。

 

ほんとは律儀に1限なんかに出たくない。この授業は教科書の板書だから、本さえ読めばなんとかなるのだ。昔の大学は教室の外で学ぶものだったらしいが、今は学校が大学評価を気にしてか毎回出席カードを課してくる。出席しないとどんなに優れたレポートを書いても単位が取れない。なおかつ最近は必修科目がやたらと多い。学部によっては所定の単位の半分以上が必修だと聞いている。大学に入れば自由に授業が選べるんだと胸を膨らませていたのに、まるでここは高校の延長じゃないかと思う。がちがちに固められた学習制度では、かえって自主的な学習意欲を削ぐし、正直にいえば人生のなかで一度は少しルーズに生きられる自由な時間がほしい!

 

でも、そういう希望とは裏腹に現実は驚くほど忙しい。学生は社会で一番楽をしていると思われるのは心外だ。A君は昼までの授業に出ると、スーツに着替える。いわゆる就活だ。午後は企業説明会に参加しなくてはならない。三年生になって就活シーズンが開幕すると、キャンパスは一斉にスーツ姿の学生で溢れ出す。A君は学問の場に堂々とスーツでいることがなんだか恥ずかしいので、いつもトイレで着替えることにしている。昼休みのトイレは混雑している。閉まっている扉からは時おりパンや弁当の袋の音が。便所飯の学生たちだ。友達のいない孤独な学生は、トイレの個室でひっそりとご飯を食べているという。A君はきっと大学生の不登校も多いのだろうなと思う。これには大学が学生が集まれる場を排除してきたことも影響しているはずだ。近頃は本当に学内規制が厳しくなっている。空き教室にいると巡回中の警備員に追い出されるし、学内でみんなで鍋をしようものなら警備員や学生課が疾風のごとくやって来る。いわく、「学内で集まってもらっては困る」と。思い起こせば、学内の広場で流しそうめんをやった団体は「動線の妨げになる」として、夏場にかき氷をつくり無料で学生に配っていた団体は「食中毒の危険がある」として、ともに反省文を書かされていた。大学のこのような対応に学生が愛想を尽かし、しかたなく近くの公園に移動し同じようなことをする。するとまた、学生課が飛んでやって来て「学生証を出せ」と言ってくる。近隣住民から「苦情」が来るのだそうだ。しかし、学生課が学外にまで取り締まりに来るという権力とは一体なんなのだろう。大学の警察化は今の大学の雰囲気をよく伝える言葉で、キャンパス及びその周辺はセキュリティの名のもとに非合法な暴力が蔓延している。まさに、ある大学では学内に交番を誘致するという動きも出てきた。こういった事情で地下部室は潰され、キャンパスは自由に使えず、学生会館は利用の手続きが厳しくなり、学生はどんどん砂粒化していく。大学に来ても一人でいる機会が多いため、便所飯に向かう気持ちも良くわかる…。

 

A君は思考を巡らしながらリクルートスーツに身を包む。このまま憤ったり同情したりしている時間はあまりなく、足早に企業説明会の会場に向かう。その途中であっと思いだし、歩きながらゼミの先生にメールを打つ。「就活のため、今日のゼミを欠席します。A拝」。最近はろくに勉強もできていない。やっと学問が面白くなってきたところで、いつ終わるかもわからない就活に巻き込まれる。大学後半の2年間を就活に費やし、納得のいく卒論など書けるのだろうか。学業への支障が出てきたことをひしひしと実感する。今のうちから卒論のために読まなければいけない文献は山ほどあるが、説明会が終わったらまず、明日締め切りのエントリーシートを3社分書かなくてはいけない。そしてその後にはバイトが控えている。学費滞納で退学になったら元も子もない。少し休みたい。落ち着いて勉強がしたい。今週末は3連休なのだが、文科省から15回授業の徹底を指導されているため、大学は祝日も授業を決行する。大学生に国民の休日はない。大学のせいで勉強ができない。A君は空を見上げため息をついた。

 

ここに見てきたように、A君を始めとする多くの現代の学生は、“飲んで遊んで議論を交わす”といった過去の学生像はまったく当てはまらない。飲み代にかけるお金もなければ、遊ぶ暇もなく、議論を交わす空間もない。それでいて雇用は大学生といえども狭き門となり、大学は就職予備校としてすら機能していない。あらゆる規制や指導に管理された無機的な時間が、4年間ただ広がっているだけである。

 

当然、このような学生生活には“症状としての蜂起”が生まれてくる。それはうつ病を始めとする精神病だったり、ピースボートで世界一周するような旅立ちだったりするが、文字通り闘いに踏み出すという症状もある。このSNS時代の学生運動は、同時代の他の社会運動と同じように、従来の組織論では語ることのできない新しい抵抗の回路を切り開いている。たとえば、関東一円の大学生が「学費・就活・学内規制」を旗印にして集結している「ゆとり全共闘」という空間がある。これをあえて「組織」や「団体」などと言わずに「空間」と呼ぶのは、中心もなければ境界もなく、ただ抵抗の運動だけがそのつど存在するという性格を正しく表すためだ。そしてそれはこの運動体が「ゆとり首脳会談」というUSTREAMの討論番組を契機に生まれたことと深く関係している。この番組は「時代を切り開くのは我々だ!」として集まった学生たちが、学生運動や就活問題などをテーマに議論を交わすというものだが、登壇者や会場に足を運んだ観覧者、そして中継を見ながらソーシャルストリームにコメントを書き込む閲覧者を巻き込んで、回を重ねるごとにゆるやかに広がっていった。そしていつの日か、このネットワークの中にいる誰かがデモを行うと言えばこの場を知る若者が一堂に会して声をあげ、また学内規制に反対すると言えば関連する大学生らが対象の校舎に行って要望書を突きつけるといった運動が展開されるようになっていった。「ゆとり全共闘」とは、このように番組やSNSを介してゆるやかに繋がり合った関係性のなかで、各人が自分の賛同するイシューごとに集結していく現象を名付けたものである。つまり、この運動体の本質はいわば「オフ会」なのである。全体像は誰にも見渡せず、大学も警察も“敵”を把握しきれぬまま、運動だけが不意に訪れるという事態が続いている。

 

学生運動のみならず、現代の抵抗の拠点は組織ではなく「オフ会」という幽霊的な空間にある。その動員をしかけるSNSは蜂の巣を巧みに突くのであって、蜂を組織するのではない。これまでの運動は飛び回る蜂の組織化に意を注ぎ、敵味方に隔てた上に、敵に刺されたり仲間同士で刺し合ったりしていた。そのなかで築かれた組織論は、つまるところ解毒の仕方といった薬の手引きに過ぎず、病そのものに対する蜂起力を教えるものではなかった。目的を忘れ、内へ内へと籠っていく蜂の巣を、いまようやく突き直し蜂起へと向かわせる回路が開かれた。組織(セクト)は物語に溺れ、一匹の蜂の集まり(ノンセクト)は人格に依存し、いずれも持続的な運動の構築に失敗したのに対して、蜂のオフ会は「物語」も「リーダー」も必要ないと宣言し、SNSという「形式」と「呼びかけ」に応じて、街へ、大学へ、官邸前へ飛び出していく。ゆとり世代の闘いは、セクト・ノンセクトの二項対立を突き崩し、文字通り「蜂起」の時代に突入した。