第42回 校正をしながら考えた(初校)

201802/13

 

きょうは言葉の小噺を。先日、編集を担当しているパンフレットの校正をしていたところ、わが師匠のT先生からある言葉についてチェックが入った。

 

「結果、〇〇の力が身につきます。」

 

といった表現なのだが、どこが問題か、おわかりいただけただろうか。

 

そう、文頭の「結果」という言葉である。正確に言えば「名詞の副詞用法」とも言うべき使い方に、疑義が呈された。より正しくは「その結果」であろう。言い訳がましいが、自分もわかっていて使用したのだ!

 

T先生によるとこの用法は論文では絶対にありえず、はじめて耳にしたのはTVの話し言葉として、それも古舘伊知郎が言い始めたのではないかという。プロレスの実況から報道ステーションまで、いつの時代の語りだったのかは確認するのを忘れてしまったが、名詞の副詞用法は文献で調べる限りではだいぶ前から存在している。

 

 

最近読んだ本のなかでも、そのことが触れられていたので紹介したい。『小説の言葉尻をとらえてみた』(飯間浩明、光文社新書、2017年)では、三省堂国語辞典の編纂者である著者が、小説の文中で気になる言葉を「用例採集」のごとく拾い集めてゆくという面白い試みがなされる。(辞書編纂とは、三浦しをんの小説『舟を編む』およびその映画化作品を想起されたい。飯間氏はそのアニメ版の監修を務めている。)

 

本書にはズバリ「名詞が副詞になる話」という章があり、池井戸潤『オレたちバブル入行組』からこの一文が引かれていた。

 

刹那周囲が凍り付き、物音が消えた。」

 

「刹那」だって! 売れっ子作家も使っているではないか! 校正の見逃しではあるまい。

 

ほかにも時代小説からは以下の使用例が挙げられている。

 

刹那――彼の顔に、矢が立った。」(吉川英治『平の将門』1952年)

刹那、冷気が頬をかすめる」(林不忘『つづれ烏羽玉』1930年)

 

1930年だって! 戦前から使われているではないか!

 

飯間氏の批評が勉強になるのは、今は誤用とされている言葉でも、昔の文学作品には頻繁に登場してくる言い回しを史料に基づき発見していく姿勢にある。それを示されると「なんだ、使われてるじゃん」と居直ることができ、要はその時代で多くの人々が認める言葉が「正しい使い方」のポジションを獲得するのだと見ることもできる。「ら抜き言葉」もそろそろ、その位置に来るはずだ。

 

名詞の副詞用法も「瞬間、彼女は泣きだした。」とか「途端、飛び起きた。」とか、「刹那」や「結果」以外にも広がりを見せている。論文を書く哲学者にとってはますます辛い時代になっていくだろう。

 

さて、事の始まりであった「結果」はというと、どうやら戦後に広まった用法らしい。三省堂国語辞典では1982年の第三版から“結果の副詞用法”を載せている。

 

1982年というと、古舘伊知郎は28歳、新日本プロレスの黄金期で実況をしていた頃にあたる。しかし、T先生がプロレスを好んで見ていたとは思えないので、おそらく「結果=古舘説」は成り立たない。80年代前後に誰かが使い始め、人口に膾炙し、三省堂国語辞典が目をつけたと考えられる。

 

結果、校正がどうなったかというと、そもそも「結果」という文字は必要ないねということで、トリました。迷ったら省略するというのも、大事な手であります。