舞台『レプリカントは芝居ができない?』先行レビュー&考察

201801/15

 

細野辰興監督の新作舞台の準備が進められている。創作ユニット「スタニスラフスキー探偵団」が製作し、『貌斬り KAOKIRI』として映画化された舞台につづく最新プロジェクトだ。

 

2/3の初日に先駆けて、会場となる西新宿のニューベリーで行われた稽古の様子から、舞台『レプリカントは芝居ができない?』の見どころや細野作品における位置づけをいち早くご紹介する。

 

 

フライヤーで公表されている概要はこうだ。“済みませんが、タイトルからご想像下さい(笑)”

 

思わずツッコミを入れたくもなるが、まずはこの説明で問題はない。レプリカントは、芝居ができるか否か、大筋ではこれが問われている。

 

「レプリカント」とは言わずと知れたSF映画の金字塔、『ブレードランナー』(82年)に出てくる「人造人間」の総称で、それを嚆矢として広く「人工知能生命体」を指す言葉にもなった。昨年には続編となる『ブレードランナー2049』が公開され、いま再び世間の耳目を集めている。私たちの暮らしにもそれに近いものが現われはじめ、ペッパー(Pepper)が店舗に佇み案内をしたり、AIスピーカーが家庭の雑事を担ってくれたりと、“ブレラン”夜明け前といった感じだ。犬型ロボット「AIBO」が今年復活の声を上げたのも、その潮流を象徴している。

 

ゆえに細野監督が「レプリカント」に着眼し“一芝居”打ってみせるのは、実にアクチュアルな話題だとわかる。しかし、描かれているテーマはやはり「細野印」付きの普遍的な問題意識に貫かれていて、すなわち「人間とは何か」についてこれまで以上に押し進めた考察であった。

 

果たして、この度の「スタニスラフスキー探偵団」という“探偵”は、何を見つけ出そうとしているのか。前作ではスタニスラフスキー・システムを用いた「ロールプレイ」を俳優たちに行わせることにより、顔を斬りつけた「犯人」を探し当てたが、今作では「一人三役」という課題を女優の田山由起さん(『ジムノペディに乱れる』(行定勲監督)、『探偵はBARにいる3』(吉田照幸監督)ほか)に提示し、レプリカントか人間かの判断を導こうとしている。

 

つまり、『貌斬り』の醍醐味であった「ロールプレイ」に当たるものが今回の「一人三役」であると言え、“演技を試して真実を見極める”という同探偵団の性格と方向性が本作でいっそう明らかになる。先走って“レプリカントか人間か”との記述をしたが、「芝居ができるかどうか」の判断は突き詰めれば「他人の気持ちがわかるかどうか」にかかっている。そのため、公演名はレプリカントと人間との対立軸で読み替えることもできるだろう。

 

さて、ここからまたユニークな実験が待ち構えている。一人二役や三役といった形式そのものは、さして珍しいものではない。少なくとも、それをもって舞台のオリジナリティを謳うことは難しい。細野監督が問うた「一人三役」には、これから上演される舞台では目に見えないポイントが実は潜んでいて――現段階ではこのレビューでしか確認できない情報だが――三役に宛てられた三つの台本は、一度にまとめて俳優には送られず、一人目、二人目、三人目と演じるごとに渡されてきたのだ。(混乱なきよう、詳しくみていくので安心されたし。)

 

「一人三役」というからには、物語には三人の語り手が登場することになる。あらすじ説明を兼ねて簡単に登場人物に触れると、演出家(1)とその演出助手(2)、そして“芝居ができない?”と見定められている“レプリカント”(3)が三者三様の芝居をみせる。この独り芝居はそれぞれのモノローグで進行するのではなく、通常の芝居同様に台詞が交わされるダイアローグで成立しているため、一役を演じているときは残りの二役を意識する必要がある。

 

しかし、細野監督が稽古に臨む田山由起さんに突きつけた難題は、一人目を演じるときは一人目の台本しか提示しない、というものだった。田山さんは与えられた限定的な情報をもとに、三人がいる状況やそこで生じている出来事、やり取りされている会話を想像して台詞を読み上げていく。素人目からみても、この作業につきまとう困難を想像するには難くない。相手の台詞の中身もわからずに、どうやって間合いがはかれよう。また、そこにいない相手のどこに目を向け、語りかけることができよう……。

 

稽古場で耳にした言葉で印象的だったのは、田山さんがよく「迷子になった」という表現で困惑を伝えていたことだ。“右も左もわからない”という状況を視覚的に言い表しているが、逆にいうとこれは、姿かたちの見えない相手の動き(所作・動線)をイメージしていることを物語っている。相手はどこからやってきて、声はどちらから聞こえるのだろうか。空間に想像力を働かせ人物を配置することで、文字情報の不足を埋めるように“間”をつくることができる。

 

その目測が正しかったのか。それは次に渡される台本、新たな人物の登場で「答え合わせ」となる。思っていた計算と異なれば、修正を図るべく微調整をかけてゆく。俳優からすればまるで謎解きをしているかのような気持ちなるだろう。ここでは俳優は、舞台に視線を送る観客と同じ立場にあり、俳優/観客の非対称性は崩れてくる。両者を仕切る見えない線を越境し、劇的空間に平等に住まわせる手法は、多層的な構造で観る者の視点を揺るがす『貌斬り』の仕掛けに通じている。

 

勘の鋭い方ははたと膝を打つかもしれない。その都度に情報更新をかけ、徐々に輪郭を明らかにし軌道修正を図っていく様子は、レプリカントの「学習―行動」様式に似てはいないかと。その状況で俳優の頭に走るインプットとアウトプットの回路は、レプリカントの思考の在り方をなぞっているようだ。細野監督(スタニスラフスキー探偵団)が前作のメタ・シネマから挑んでいる特筆すべき手腕は、「形式(俳優に課された実験)」と「内容(俳優が演じる劇)」の巧みな一致に見出すことができ、この有機的な結びつきこそが、作品を唯一無二の存在として際立たせることに貢献している。

 

 

内容をあまり述べずに「形式と内容」の一致を説いてしまい、再び先走ってしまった感があるが、おおまかなストーリーはこうだ。舞台は稽古場。“レプリカント”が芝居をさせてほしいと訪れる。芝居ができるかどうかの判断を下せば、演出家のもとにはギャラが入るようである。そこで彼女はあるシーンを用意し、演出助手を相手役に置き、“レプリカント”の口立て稽古を試みることにした。

 

この口立て稽古が、“後出し台本”という課題に挑戦する俳優の姿と重なるということだ。実際、田山由起さんは演出家の指示(新情報の提示)を即座に“インストール”し演技を更新することができ、レプリカントと見まごうばかりの適応力をみせつける。三役の演じ分けも、決して表面的な行為の再現にとどまらず、それぞれの人生が匂い立ってくるような説得力ある演技を志している様子がうかがえた。

 

 

『貌斬り』が内包する多重構造の強烈な印象から、もはや「劇中劇」は細野作品の十八番とも呼べる装置として広く認知されつつあるが、今回は特に細野作品ファンにはとっておきの仕掛けが待っている。核心を避けて言及すると、劇中劇で使用されるワンシーンは、なんと細野監督の代表作の一つ『竜二Forever』(2002年)から引かれているのだ。「形式と内容」といった理屈を唱えなくても、純粋にエンターテインメントとして楽しめる。ほかにも、細野監督ならではのユーモアが作中には散りばめられているので、その言葉一つ一つを味わうだけでも、十分に満足することができるだろう。

 

一方で劇中劇に『シャブ極道』でも『私の叔父さん』でもなく『竜二Forever』を採用したのには、演出上の意味がしっかりとあると見受けられた。金子正次の軌跡をたどる同作には、映画『竜二』に出演する者と、そのもととなった実人生を生きる者とが存在する。わかりやすく言えば、「金子正次の妻」と「金子正次の妻を演じる女性」が作中にはいるわけだ。ホンモノとニセモノが出会うときに生じるズレや軋轢は、ときにホンモノの実存を揺さぶり、不安をかきたてる。これこそまさに、人間とレプリカントの関係を示すメタファーとして受け止めることができるのではないか。

 

先に本舞台では俳優・観客ともに「謎解き」の要素が与えられると言ったが、「探偵」が「謎」を追うなかで自らの「実存」に突き当たるという構成は、フィルムノワールという映画ジャンルを彷彿とさせ(それをSF世界で行ったのが『ブレードランナー』であるわけだが)、ここにこの度の“スタニスラフスキー探偵”がレプリカントと人間を設定して問いかけようとしているテーマが、はっきりと見えてきた。

 

演技とは何か、人間とは何か、生きるとは何か。

 

“レプリカント”が芝居に取り組む姿を通して、ホンモノである私たちのほうが再考を促される。私たちは何者か。悪戦苦闘するレプリカントを笑うことができるとすれば、自分には彼・彼女とは違うどんな感情を持っているのか。自分がまっとうな人間だと無自覚に思っている人物こそ、日本語を破壊するロボットのような受け答えをしてはいないか。実存の不安を意識しないで生きている人にとっては、この舞台で意表を突かれるかもしれない。

 

人間だろうが、レプリだろうが、この社会を演じて生きることには変わりない。そうであるならば、より良く演じて生きたいものだ。プロジェクト第2弾の『貌斬り』が「自分の役を見つける自由」を教えてくれたとすれば、第3弾は“笑毒”を振りまきながらそれを一歩も二歩も進めて継承し、スタニスラフスキー探偵団の進化を確認できるものとして仕上がるはずだ

 

最後に念のために書き添えておくが、詳述してきた「俳優に課された実験(形式)」のプロセス自体は上演中の舞台で確認はできない。(さすがに本番中に台本を初めて渡すわけにはいかない。)しかし、三役を想像しながら挑んできた役作りは、謎がなければ到達できなかったであろうリアリティを獲得していると強調したい。つまり、プロセスの成果は上演舞台にすべて凝縮されており、見えない過程が観客の楽しみを損なうことは一切ない。また演出家にとっては効果的な演出方法を発見したと振り返ることができるだろう。実験が生んだ発明もろとも目撃するつもりで、ぜひ会場に来場されたい。

 

▼ 独り芝居 笑毒劇『レプリカントは芝居ができない?』(作・演出 細野辰興/出演 田山由起)

【会場】Newbury(新宿区西新宿7-11-3 平田ビルB1) TEL03-5330-8098

【上演日】
2月  3日(土)15時開場 15時30分開演
2月10日(土)15時開場 15時30分開演
2月11日(日)14時開場 14時30分開演
2月18日(日)14時開場 14時30分開演
2月24日(土)15時開場 15時30分開演

【チケット予約】
チケット予約専用メールアドレス stanis2011@gmail.com(創作ユニット スタニスラフスキー探偵団)

 

▼詳細は添付のチラシをご参照ください。

 

▼関連記事 『貌斬りKAOKIRI』あらすじと考察【映画と舞台の混在メソッド】

https://cinemarche.net/drama/kaokiri/

コメントを残す